後期クイーン問題も 良いのだが そもそもフィクション中の問題だろう。

哲学者の三浦俊彦氏が「虚構世界の存在論」で日本では珍しい、フィクションの
中で事物は いかに存在しょているにか? を詳細に論じている。

ある小説の中に井上裕という人物が登場したら、作品中には一切記述
は無いが、井上裕氏の父親は作品世界には確実に存在する、という立場と
「いや 作品中に言及されない物は 存在しないのだ」
という立場が対立したり 英米では盛んな領域だ。

後期クイーン問題は それがフィクションだということを考慮していなくて
中途半端な気がする。