私も>>1の意見に賛成。
探偵小説において、「神の立場」にいるのは作者であり、作者は当然
真相を知っている。一方、登場人物の一人にすぎない探偵はすべて
の情報を知り得ない存在である。

1 第一の問題
 犯人によって「偽の手がかり」がばらまかれた場合に、探偵はどの手掛か
りが真でどの手掛かりが偽か判断できず、論理的に正解にたどり着けなく
なることを問題にしているようだ。探偵は当て推量でしか真相を言い当てる
ことが出来ないというわけである。「偽の手がかり」がばらまかれる可能性を
考慮すると、確かに論理的に推理することは不可能だろう(「偽の手がかり」
をばらまくということは犯人にとって目撃されるなどのリスクを負うことでもある
が)。作者が取るべき道は、当て推量を含む探偵小説を書くか、与えられ
た手がかりはすべて真であると割り切って本格ミステリの探偵小説を書くか、
探偵小説を書くことをあきらめるかのいずれかである。悩んでも無駄である。

2 第二の問題
 探偵は一般的に推理を披露するのみで、犯人の処遇は警察や司法
に委ねられるので、「神であるかの様に振るまい、登場人物の運命を決
定する」ことはないと言える。この問題の趣旨は「探偵が捜査に参加する
ことあるいは犯人を指摘することにより、本来起きるべきではなかった犯罪
が起き、犠牲者が増えてしまうことへの責任をどう考えるのか」ということのよ
うだ。しかし、これも「神の立場」にいる作者のさじ加減次第でどうにでも
なることだし、フィクションなのだから犠牲者が増えることに責任を感じる必要
はない。そもそも、探偵が捜査に参加することや犯人を指摘することを否定
したら、探偵小説は成立しない。

つまり、後期クイーン問題というのは、「神の立場」にいる作者がわざわざ登場
人物のレベルまで下がって悩むような問題ではないのである。