なんか、後期クィーン問題とか言ってる奴は、本格ミステリーを基本的に過大評価しすぎなんだよ。
だから読者に対する挑戦の厳密性だの、本格は必ず合理的に考えたら答えにたどり着かなきゃいけない
だの妙な堅苦しさが生まれる。

フィクションの小説なんだよ。数学の問題でも、詰め将棋の問題でもない。
厳密にルールが決まってるわけじゃないし、しょせん盤上のことしか考えない詰め将棋と違って、
小説は変数が多すぎる。疑おうと思ったらありとあらゆることが疑える。問題として成立しないんだよ。

クローズサークルは本当に閉じられているのか? 抜け道はないのか?
密室に抜け穴はないのか? 証言者に偽証はないのか? 本当に被疑者はこのなかの登場人物だけなのか?
同姓同名の人物なだけではないのか? この人物は本当に男なのか?

詰め将棋に穴があったら問題だけど、むしろ穴のない本格ミステリーなんかないだろ。
みんなそんなことわかってプロレス的に楽しんでるのに、ミステリー作家が自意識過剰になって
妙なこと気にしすぎなんだよ。
本格ミステリーは人間の遊び心の産物であって、論理主義や合理主義とは何の関係もない。
しょせんプロレスはプロレス。ガチにはなれないんだから。

才能が尽きて行き詰った法月が、自分のスランプをクィーン問題のせいにしてるだけだろ。
ただのいいわけ。それ以上でもそれ以下でもない。