京極夏彦 Part.88 [無断転載禁止] [無断転載禁止]©2ch.net
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妖怪作家・京極夏彦を語るスレ
次スレは>>970。無理な場合は即申告のこと
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●大極宮(公式情報)
http://www.osawa-office.co.jp/
●お化け大学校
http://www.kwai.org/
前スレ
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※コテハン荒らしは徹底放置・絶対に触れない事。
コテハン荒らしに構っているレスは全て荒らしの自演です。
釣られて反応しないようにしましょう。 本人は否定するだろうけど関口も普通にちゃんとしてたら割りとイケメンな顔立ちなんだろうな 猿顔だけど アイアイ…目がデカイ三白眼??
漫画版だとシリアスな時はイケメンに見える時も。 漫画の関口はニホンザルっぽい
原作もそんなイメージあるような 漫画の関口はいかにも「女が考える冴えない男」って感じで好きじゃない
漫画版皇国の守護者の主人公も似たような描き方だった
イケメンではないにしても、軍隊経験あるしもう少しオス臭い感じだろう
実際ヒゲ濃いらしいし、と言うことは他の体毛もモジャモジャのはず
猿ってのも結構野性味があるってことじゃないのか 漫画だからさすがにモジャモジャは見苦しい…。それより体格は貧相とか本人言ってたような、鉄鼠の裸がガッシリし過ぎてる気が。 どの媒体の関口もまあまあ納得できるデザインだわ
アイアイをググってみたらこれも中々説得力あるね 関口本人の申告は無視するものとして
なんとなく本島が一般的な感性ありそうな信頼がある
たしか「風采の上がらない」云々だったかな
だから顔面はさておき全体的にダサイ・粗末・野暮ったいんだと思う
他媒体はマンガしかみてないけどもっと小汚なくてもいいのよといつも思う 関口ってしっかりしてたらそれなりに見栄えも良くなりそう。みたいな描写なかったっけ >>428
それ奥さんと勘違いしてるんじゃないか?
川赤子に「雪絵は十人並み以上なのだが…」みたいな記述があったはず
シリーズ通して関口がまともに褒められてた記憶はないな ――ぬらりひょんのふんどしで「友人の一人が財閥の長に」と古本屋の老人が述べているが
それが――
――榎木津――とは限らぬ――そもそも――中禅寺と榎木津――は――友人ではない――
――他の友人が警察で――偉くなった――というのも――もし木場であれば――
――――年齢がおかしい―――従軍もした年齢であれば――とっくの昔に――
――定年――― そういえば普通に総一郎の方かもしれんよね
ぬらりひょんまで何十年もあるんだから友人になってても全くおかしくない(鵺に登場するだろう)
あと、偉くなった警官は絶対木場ではないよねw 中禅寺と榎木津は友人だよ
「アレは一応友人だから―」みたいに言ってたろ
関口はあくまで知人だと断って
偉くなった警察官は青木かもね 榎津が親の財閥を継ぐとなると兄は?
という疑問がある。兄が死んだ、他の財閥のお嬢さんと結婚して継いだ
などは考えられる
中禅寺の知り合いで警察で偉くなりそうな若手に心当たりがない
仮に居たとしても昭和二十年代に奉職してて定年でない人いないぞ 昭和三十年以降も木場や青木と交流続けてれば
そいつらの後輩と知り合ってもおかしくない その場合「友人」じゃなくて「知人」レベルじゃないか なんで京極夏彦は【風の噂】という間違った慣用句を多用するのだろう? いちいちうるせえな
言語は流動的なんだから、お前の言葉も昔の人間には全部おかしいわ
そんなに正しい言葉が使いたいなら動物みたいに鳴き声だけで喋ってろ
大体、登場人物全員戦後間もない日本人にしては現代的すぎるだろ
思想や知識も明らかに当時のものだけではない
時代劇にイチャモンつけるみたいにツッコミ所挙げていったら切りがねえよ >>439
お気に障ったのなら申し訳ない
しかし、正しい言葉が使いたい、とかそういうことではなくて
間違っていると自覚しているはずなのに多用する理由が解らないから気になる。ということなのです
もうひとつ多用している誤用表現の【憮然】の方は辞書での意味も変わりつつあるし、
元々あからさまな誤用というわけでもなかったのでそれほど気にならない
他にも【若気る】など一度だけの間違いは、どんな作家にもあることなのでこれも別にいい
しかし【風の噂】なんて言葉は金輪際ないから、校閲者が発見次第間違いを指摘するに違いない
にも拘らずずっと使い続ける(百鬼夜行シリーズに限らず最新作のヒトごろしでも発見)のは、
校閲の修正を作家側で反故にしたからだと思われる。……というわけでその理由が気になる
渡辺淳一もタイトルに使ってるし、語感が気に入ってるとかそういう理由かもしれないけど
言葉遣いに神経質なスタンスの作家がこの態度は妙でしょ でも風の噂ってよく聞く言葉…なのに。よくつかいませんか?方言かな。 よく使われてはいますよ
【風の便り】の誤った表現として有名です 京極ってそんなに言葉にこだわるタイプの作家か?
いや偏執的にこだわってるのは確かだけどそういう”正しい”言葉遣いにこだわってるとは思わない 変に理屈っぽい奴が多いな
京極堂の影響モロに受けてて微笑ましいけど
読書だから感性も大事だぞ 隠し立てはできない
自分の顔に"カッ"という感じがしたことを
しかしどうして、京極の影響を受けているという(的を得た)指摘が自分を赤面させたんだろう?
作家に影響を受けるのは恥ずかしいことなのか?
それともそれを指摘されたことが?
秘密を暴かれた!という感じなのかな?
無意識に隠し立てしたことが原因なら、意識してオープンにすれば解決になるか?
うん、取り敢えずはこれでいこうか… >>441
京極堂が付きモノオトシの時正しい言葉を使うんじゃなくて
相手によって言葉を変えるって言ってたしそれかもね >>446
なるほど、そうなのかもしれません
ID:p9nNvusiさんも仰ってますが、コロケーションとしては人口に膾炙してるのも事実です
通俗的な表現として使用されているのかもしれません。そもそも堅苦しいものじゃなくて小説ですし
同じ意味で正用の【風の便り】と【風の噂】を比べて、
語感も字面も文字数も後者の方が京極夏彦のお気に入りなんでしょうね。きっと
でも、京極小説の日本語表現って基本的には正しいんですよ
多分一番有名な誤用は陰摩羅鬼の【流れに掉さす】だと思うのですが
あれだってちゃんと読めば正用なんですよ。……読書に正解はない、という作者の意を酌めば
正しい意味としても読める。っていった方がいいかな 「―」を多用しすぎるのはどうなんだろう?とは思った。 姑獲鳥の夏久々に読んだら、遣り切れないほど切なくなった
あぁなんて美しく儚い小説なんだろう
お潤さんの酒場に行ってウヰスキーでも飲みたい気分だ
お潤さんに、馬鹿ねって言われたい
家には雪絵がいてくれ
たまに連絡とる友人に朱美
古本屋の友人に京極堂もいてほしい
そして久遠寺涼子とともに生きるさ
そして猫も にゃぁー🐱 >そんなに正しい言葉が使いたいなら動物みたいに鳴き声だけで喋ってろ
すげぇ啖呵だなw 講談社ノベルスで邪魅の雫60頁まで読んだけどすごく面白い 知人から、この人の小説は新書版や文庫版で、少し内容変わってるって聞いたのだが本当? 本文レイアウトに合わせて加筆訂正がなされていますが
ストーリーなどは変わっておりません 451
[流れに棹さしてみても無駄で、遡ることなど出来はしない。]
…やっぱり逆の意味で使ってない? >>460
嘘です。赤川次郎みたいな王道の小説です 流れに掉さす。の意味は、傾向に乗って、ある事柄の勢いを増すような行為をする。
とある。なら遡ることではないのでやはり逆では? >>465
ところが逆じゃないんです。正しい意味で用いられています
ネット上にも多数勘違いされている人がいますが、無理もありません
その部分だけ読むと確かに誤用な気がします。しかし実は正用なのです
文意が伝わらないと説明ができないので、必要な箇所を抜粋しますと
「能く、世間の立派な人は未来は自分で選ぶんだと云いますけど——未来なんてものは選べないんだと思うんです。
自分で決められるものじゃない」
「まあ——そうだろうな」
未来を選ぶとはまた歯の浮くような台詞だ。人は流されるように生きている。
自分の意志で泳いでいると思うのは驕りである。流れに棹さしてみても無駄で、遡ることなど出来はしない。そもそも。
未来なんてものはない。
となり、これは関口のセリフを受けて語り手が未来について思索している。というシーンで
ノベルス版569頁、文庫版908頁から引用しています
読んでもらえれば解ると思いますが、ここで語り手が考えている『流れ』=『傾向』とは
未来を自分の意志で選択しようとする態度、のことであり、掉さしても無駄、とは
その勢いを助長することはできない、という意味に読めるはずです
その後の、『遡る』の字義が問題で、これが勘違いの要因だと思うのですが、これは過去に遡るという意味ではありません
ここを過去に遡るという意味で読んでしまうと文章全体の意味がおかしくなってしまいますし、その後のセンテンスとの繋がりが変です
時間は、未来〜現在〜過去、という風に流れますので、時間を流れに喩えた場合は未来が上流となります
つまり語り手は、未来へ加速することなどできない。といっているわけです
と、まあこう読むと本来の意味の【流れに掉さす】で矛盾なく文章を消化できます。長文失礼 —は、―ですね。コピぺなので文字化けしました。失礼 >>470
>未来を選ぶとはまた歯の浮くような台詞だ。人は流されるように生きている。
>自分の意志で泳いでいると思うのは驕りである。流れに棹さしてみても無駄で、遡ることなど出来はしない。
ここは素直に「流れに抗う」という意味で「溯る」と言ってるのだと思うぞ
「棹差す」も当然その流れで使われていると解するのが自然
だからやっぱり誤用だな
あと
>時間は、未来〜現在〜過去、という風に流れますので、時間を流れに喩えた場合は未来が上流となります
タキオンじゃないんだからw
時間は過去から未来へ流れる。つまり未来は下流だよ
個人的にはこの手のドヤ顔で使ってる言い回しの誤用よりも
そもそも。(改行)
みたいなのが気になる。ラノベっぽいというか、素人くさいというか。 誤用ではないという結論ありきで理屈を組み立てたなら、どうにでも組みあがるだろうと思う
ただ方丈記に「ゆく川の流れは絶えずして」とあるけど、上流が未来だという人は普通はいないわ つまらないことにこだわってる人はなんなんだろう
正しいとか間違ってるとか言い出したら、邪馬台国で使われてた言葉が
一番正しい日本語なんじゃないか 未来が上流wwwwwwwwwwwwwwwwwwww
こんなアホなレス久々にみた あと千年経てば「まじまんじ」は正しい日本語になるぜ >>473
いや、一読したときは私もこれは誤用だなと思いました。しかしそうだとすると不自然な箇所があった為
正用であると仮定し吟味した結果の結論が上記の内容です
>>472
この文章の文脈文意を要約すると、語り手が、未来選択可能派の態度を持論に基き否定する
というものなので、『流れに棹さしてみても無駄で、遡ることなど出来はしない』を
時の流れに抵抗しても無駄で、過去に遡ることなどできはしない。と解釈してしまうと
件のセンテンスからそれまでの批判がいきなり消失し、誰も主張すらしていない事柄への反論が唐突に始っていることになり
しかも、その後の『そもそも。 未来なんてものはない』でまた唐突に未来選択可能派への批判が復活しています。これは文脈が変です
(ちなみにここの、〔そもそも。〕での改行は原典準拠なので文句は京極にいってください)
勿論現実にはこういった支離滅裂な思考をする人物もいるので、その解釈が絶対に間違いだとはいえません
しかし小説の構成としては不自然ではないでしょうか?
それから、未来が上流についてはやはり間違いではありません
現在からみて、過去はもう過ぎ去ってしまった時間であり、未来はこれから訪れる時間です
言葉が不足していたかもしれませんが、視点を現在に置き時間を流れに喩えると未来は上流ということになります 誤用かそうでないかはもはやどうでもいいけど
自分の意志で泳いでいると思うのは驕りである、の後に何で突然棹の話になるのかわからん
泳いでる人は棹を持って泳がないし、舟に乗ってるのなら驕ってない人だし >>478
お前が書いてるけど気付いてない決定的結論を言ってやるよ
「解釈の仕方で正誤は変わる」ってことだよ
教科書的な正しさは勿論尊重すべきだけど、それに固執するな
「だってお母さんが言ってたもん」で言い逃れようとする子供と変わらん
国語は科学じゃないんだから、結局信念の体系なんだよ
自分の思う正しさだけを信奉するのは「理論的な迷信」でしかない
人間は日常的に合理と非合理を使い分ける能力があるだろ
非合理ゆえの合理性を無視するのは、感情的欠損を疑われても仕方ないぞ
京極は主に認識をテーマにしてるんだから、
作品読めばその程度のことは誰でも理解出来るはずなんだけどねえ
まあ文章は読めても、小説を読むことが出来ないんだろうな
だから全体ではなく細部への固執でしか作品を語れない 通じればいいんだよ的を得るでも相手に通じてれば誤用じゃないんだよ えーと(;^ω^) それ私にいってます?
そもそもですね。まだ反論が必要な要素が含まれたレスがありません
ID:0DBtykocさんの中段の文章は、私の論旨論調から私の人格を推測した上での感想ですし
下段の文章は、そこからの飛躍した憶測で人格を非難されているだけで、これはまあ不快ですが個人の感想なので仕方ないです
論旨に対する反論らしい反論は「解釈の仕方で正誤は変わる」という部分だけですが
それに関しては普通に納得できますし、書かれている通り私の論旨と決定的に対立するものではありません
ID:jXdhUL6tさんも、誤用かそうでないかはもはやどうでもいいけど。と仰っている以上
誤用であると断定されているわけではありませんので反論の必要はありません
質問されてる箇所については、前者は比喩表現で後者は慣用句なのでそこに情景的な繋がりはなくてもいいのでは?
と思います
ID:im1cwzUcさんに関しては、そういうつまらないことに拘るのが私の性格なのでご寛恕くださいとしかいえません
私の論点を要約すると、京極の【流れに掉さす】の用法は文化庁の定義する意味において
正しいと判断するのが論理的整合性に基く蓋然性が高く妥当である。です
従って、間違った用法で使用していると考えた方が論理的に妥当だ。という意見以外に反論する必要はありません まともな賛同を全く得られなかったことは正直ショックですが
それでもまあ、発売当時から誤用だ誤用だと馬鹿にされてきたものを
なんとか、解釈次第では正用にも読める。くらいには持って行けたんじゃないかと思います
15年越しに汚名を雪ぎたかったんですが、うまくできなくて残念です 久しぶりにこのスレ来たら夏を満喫できたわ
ぬえよりも巷説の続編が読みたいんだが 巷説は一応完結しているし続編はないのでは?
丁度今読み返しているんだが、赤えいの魚ってこのシリーズで1番気持ち悪いよな >>488
別に筋は通ってたんじゃないか
人格攻撃しかできない奴らはまともに論破できない劣等感の裏返しだとでも思ってればいいよ
でもほとんどの奴はお前の言ってることに興味がないだけだ
共感されなきゃ無意味だし、お前の拘ってるところに小説の真価なんかねぇよ
好きな作家が貶されて悔しいってのは解るけどな
作家の面目躍如を言い訳に、承認欲求と自己顕示欲を隠すな 自分は正しい。と思ってるから逆に怖いよね
悪気がないんだもの 今でも自分は正しいのになぜなんだちくしょーって思ってるんでしょ
怖い怖い そもそも、もう少し短目にしてくれ
ここにいるのは京極作品読んでる人達だから長くても良いと思ったのかもしれんけど、
5ch見てる時って長文読む気分で読んで無いよ 俺が教えて「あげて」るのに馬鹿がつべこべ
と思ってるんだろうなあ >>470
確かにそう読んで読めないこともないですけど、ちょっと凄い想像力が必要になってしまいませんか
「棹さす」を「逆らって」と読んじゃって、"人は〜出来はしない"を「選ぶ」のみにかかった文章とした方が何というか、シンプルじゃありませんか
"未来を選ぶなどアホらしい、人間は選ぶことなど出来ないし、そもそも未来などないんだ"
これですよ 気になる所は人それぞれだしな
自分は目競でまた礼次郎になってたのがびっくりした
1箇所とはいえオンモラキであんだけ言われててなんでやねん >>497
ああなるほど、時間を流れに喩えているんじゃなくて、ただの流れに喩えて
自己決定など不可能だ。といっているわけですね
未来について語っているのだから当然流れも時間の流れのことだという先入観がありました
可読性を重要視する作家なので、あまりややこしい読解を要求するとも思えませんし
その解釈はいいですね。私のものより妥当だと思います
472さんもそういう意味で書かれてたのなら申し訳ないです
しかしそうなるとやはり誤用ということになり残念です
なんで文庫版で直さなかったんだろう >>492
何でそういう勘違いした奴が多いんだろうな
又市と百介の物語は終わったけど、又市の物語は全然終わってない
作中でも放置したままの布石が残ってるでしょ
>>495
俺は長文は気にならないけどコンスタントに改行はして欲しいんだよね
文章自体短くすることを心掛けた上で、長文も読点で改行するとか工夫すべき
それだけでだいぶ読み易くなる
京極読者なら文章より読者を意識した読み易さにこそ拘らないと 又市サイドの話はまだ書ける余地があるけど
百介の物語は完結してて、しかも良かったから
個人的には鵺の方を先に読みたい。タイトル出て何年経つんだよ いやいやひゃくすけの話はまだまだ完結していないよ
老人になるまで生きていたわけだから、若い頃から老人になるまでに
ひゃくすけにも色々あったはず その色々をまだ描いていないじゃないか そう言う人もいるみたいだが江戸時代ならひゃくすけが普通これが正しい日本語 又市と離別したあとも本人が気づかずして関わってたとかありそう
メディア化はアニメが一番好き
二期やってくれんかな うしろのひゃくたろう だろ?ひゃくすけが正しい
同じ漢字を使ってあの!つのだじろう先生がひゃくと呼んでるんだから
とうぜんひゃくだよ これが正しい日本語 妹は普通なのに中禅寺がなぜひねくれた大人になったのか知りたい
中禅寺と妹では育て方が違ったとか >>509
そりゃ暮してた家も違うし、育て方も違ったでしょ 若又市と仲良くて行方不明になった学者の先生がどうなったのか気になる >>512
ええっどういうことだい?別々に育ったのかい?なぜ? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています