ああ、書き方悪かったかな
おばけというのは馬鹿で無駄な愛すべきものって書いたら良かったかな
おばけとナマハゲは違うだろう

当時の秋田の人もナマハゲと一つ目小僧やらろくろ首やらと違うのは解ってたろう
ナマハゲに限らずムラ社会におけるそういう風習はもっと日本各地にあったはず
ただムラという共同体がなくなってナマハゲくらいしか有名なのが残っておらず他の個別なモノはほとんど消えたのは事実

それはやっぱり明治以降の人々が非合理的と切り捨てたからだろう
社会や共同体の仕組みそのものが変わったなら合理的なシステムとして役目があった風習が消えるのも仕方ないさ
でも弔堂にもあるけど柳田國男なんかはそういう、消えていくものの中にある日本人性というか
心の豊かさは失くす前に記録して日本人の心の中に残しておくべきだと考えた人だろう

怪異の説明としての袖引き小僧やら天狗とは違って
おばけってのは最初からシステムとか合理とは全く別にエンタメとして消費されるだけの存在として
庶民に届いたから絵本の中にマチの人々の心の中に残ったけど
それでも昭和に水木しげるがいなかったら今ようには残ってないし
ジバニャンなんか生まれなかったのは間違いない
エンタメとしておばけを消費すればナマハゲとかの文化に触れられない他地域の人々にも豊かさを届けられる
そういう存在がおばけだし京極たちが推進してるものだと思う