"本格ミステリ"の定義について語るスレ
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>>49
>なんらかの重要な手がかりを意図的に隠していたりしたらダメ
いや、だから意図的に隠しているのではなくて、作者的には本格ミステリの
フォーマットにのとって書いていて(たとえば豪邸で連続殺人が起きて
名探偵が犯人のトリックを見破ってロジカルに事件を解決するみたいな感じ)
手掛かりも十分に提示したつもりなのに読者や批評家から十分ではないと
指摘された場合はどうなのかと聞いている
単に本格ではないという答えではなく、その場合はジャンルが何になるのかを
知りたい 加点も減点もしない要素
・意外性
加点要素
・伏線の巧さ
減点要素
・情報の後出し
・こじつけの論理 >>51
そうだよね
すべての手掛かりの開示が必要というのは厳密すぎるよね
たとえば、坂口安吾は推理小説論で「Yの悲劇」は犯人を指摘する材料が
十分ではないと批判しているけど、そういう話がでるたびに
この作品は本格ミステリなのか否かを検討し直さなくてはならなくなっちゃうもんな
あくまでも結果ではなくて作者がフェアプレイを挑もうとしている姿勢だけで
十分だと思う >>55
姿勢だけ、とか、読者参加型、とか、ぜんぜんダメだな
そういうことじゃないんだよ本格は
推理に要するすべての手がかりを明示する
これがどれだけ大変なのか
まったく容易極まることだよね
誠実な本格ミステリ作家はやってるよ
鮎川哲也とかエラリー・クイーンとか
別に高いハードルではないが、理解していない作家はできていない 完全な手がかりが用意され論理的に考えれば導き出せるが
現実的に考えるとどう考えても実行不可能なトリックの場合
それは果たしてフェアと言えるのだろうか? >>56
>誠実な本格ミステリ作家はやってるよ
>鮎川哲也とかエラリー・クイーンとか
だから、下の疑問に答えてよ
↓
>たとえば、坂口安吾は推理小説論で「Yの悲劇」は犯人を指摘する材料が
>十分ではないと批判しているけど、そういう話がでるたびに
>この作品は本格ミステリなのか否かを検討し直さなくてはならなくなっちゃう>もんな
エラリークイーンだって手掛かりが不完全とか指摘されることはあるんだよ
Zの悲劇なんかも手掛かりとして完全ではないところがあって(利き手の問題とか)
あれでは正確な推理はできないといわれている
そういう作品も本格ミステリから外さないといけないの? >>56
安楽椅子探偵ものは手がかりをすべて明示する作品が多いよね。
捜査関係者(つまり信頼できる語り手)が身近な人に
事件を説明するという設定であれば、フェアな本格になるのは
当然なんだけど。 >>58
それはこういうことじゃないかな
探偵が推理する際に作中に明記してある手掛かりだけを使って推理をすれば本格
作中に書かれていないものを持ち出したら本格ではないと
つまり、手掛かりが十分であるかどうかが問題ではなく
推理の段階で探偵が作中に書かれていない新事実さえ持ち出さなければOK
Zの悲劇も手掛かりは十分ではないかもしれないけど、探偵は作中に書かれて
いることだけで推理を組み立てているから、本格ミステリとしての出来に
関しては疑問が残るにしても、本格ミステリであることには違いない
そういうことで>>56もOKかな? 本格に必要そうな要素を並べて要素毎に本格に必要かどうかアンケート取ってみたい
どこかにそんなサイトないかな? 本格ミステリとはあくまでムーブメントであって細かい要素は年代で変わる
理念としては一応「推理ゲームが主体であること」
これで大体説明できんか? >>62
間違い
脱構築した気になってる似非インテリ >>64
なら年代によって作風も変わって昔の本格ミステリが現代において本格じゃない認定を受けうる自己矛盾の構造をどう説明する? >>62
>本格ミステリとはあくまでムーブメントであって細かい要素は年代で変わる
だから、現代において本格をどう定義ずけるかという話でしょ?
>推理ゲームが主体であること
それなら推理ゲームとはなんぞやということになるから
>>60の「探偵が推理する際に作中に明記してある手掛かりだけを使って推理をすれば本格」
ってことでいいんじゃね。 読者主体か探偵主体かでまた話がややこしくなりそう
確かに>>60の定義は一理あるものだけど、それだと自分で推理を楽しみたい読者層を切り捨ててしまう恐れがある
と思う
やっぱり読者に解かれることを想定して書かれているかも考えた方がいいんじゃないかな >>60
>それだと自分で推理を楽しみたい読者層を切り捨ててしまう恐れがあると思う
いや、だから「探偵が推理する際に作中に明記してある手掛かりだけを使って推理をすれば本格」ていうのは要するに、
作中に明記している手掛かりを使って推理するのだから、読者も探偵と同じ立場で推理ができるってことを意味しているわけなんだけど? >>60
>それだと自分で推理を楽しみたい読者層を切り捨ててしまう恐れがあると思う
いや、だから「探偵が推理する際に作中に明記してある手掛かりだけを使って推理をすれば本格」ていうのは要するに、
作中に明記している手掛かりを使って推理するのだから、読者も探偵と同じ立場で推理ができるってことを意味しているわけなんだけど? そんなもんそれこそ「ある程度まともでロジカルなオチがある」くらいでいいだろ 本格ミステリの定義論争みたいなもんに深入りしすぎたところでな〜んも良いこと無いというのは、
先人達の苦悩と迷走の歴史が証明してくれているからな そもそも、ピラミッドはどうやって作られたかや
UFOは存在するかとか謎が解けない謎のもミステリーであり
「トリック」「探偵」「謎解き」の三つが備わった古典的なのが本格ミステリ
海外ではclassical whodunit(古典的なフーダニット)などと呼称
ちなみに新本格ミステリとは
本格ミステリものが読者が離れ衰退したときに
盛り返すために綾辻行人のデビュー作「十角館の殺人」に出版社がつけたコピー 知った風に間違ったこと言ってる後追いきついなあ
十角館の出版時にそんなコピーはなかったよ https://www.weblio.jp/wkpja/content/%E6%9C%AC%E6%A0%BC%E6%B4%BE%E6%8E%A8%E7%90%86%E5%B0%8F%E8%AA%AC_%E6%96%B0%E6%9C%AC%E6%A0%BC%E3%83%9F%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%AA
>1987年、綾辻行人が講談社から島田荘司の推薦を伴い『十角館の殺人』(講談社ノベルス)でデビューした。
>同社編集者の宇山日出臣(宇山秀雄)は1990年代にかけて、綾辻以外の推理作家たちを「新本格」と銘打って集中的に売り出し
>「新本格の生みの親」とも言われた。
>「新本格」という言葉は、綾辻行人の第2作『水車館の殺人』(1988年講談社ノベルス刊)の帯から使われ始め
>同系統の新人ミステリ作家の作品に使用された講談社のコピーであった
本格ミステリものが読者が離れ衰退したときに
盛り返すために綾辻行人のデビュー作「十角館の殺人」に出版社がつけたコピー >>73
さっき小杉健治「絆」を読んだ
日本推理作家協会賞受賞だから誰もが認めるミステリーだろうけど、謎がロジカルに解かれてるとは全然思わん
元来法廷ものが好きでないので今頃読んでるんだけど、やっぱ解決編だけ見せられてる感じがして、まったく楽しめない
やはり探偵小説/推理小説/ミステリーには、謎を解いていくという過程が欲しいな >>77
自己紹介かな?
76が正しい。新本格という呼称がついたのは水車館の帯に書かれたのが初で、それ以前はそう呼ばれてはいない ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています