全国に182万人いるといわれる、鈴木姓の直系の先祖にあたる鈴木一族が、海南市藤白の地に移り住んだのは平安時代末期。
平安時代から鎌倉時代にかけ熊野三山を参拝する「熊野詣」が盛んに行われていましたが、
上皇や法王が熊野詣する際は藤白神社の「鈴木屋敷」で一族が迎え、熊野三山の案内役を務めていました。
熊野詣はその後武士や庶民に広がり、屋敷は人々のおもてなしの場として大きな賑わいを見せます。
一族は紀州藤白鈴木家として繁栄を築き、熊野信仰の普及活動とともに日本全国各地に移り住みました。
1942年に海南市の鈴木一族122代目当主が没して以降、屋敷は空き家となり老朽化が著しい状況に。