>>372
>>397
失礼ながら、それもまた自説に都合よい論法、詭弁でないでしょうか?
事件性の疑いを捨てきれない人たちは、積極的物証は挙げられないが、
いくつかの「論拠」を持っていた。
危さんには未解明の空白の時間が多い。
釧路市街を歩く最後の姿の以降、足取りがまったく掴めないのは不可解。
自殺するにしても、車もなく軽装の危さんが短時間に徒歩で僻地にたどり
つくのは困難ではないか。
彼女の境遇から、本当にいきなり日本で死ぬとはにわかには信じがたい。
etc,以上からは、事件に巻き込まれたという想定をする余地がある。
また第三者の関与の想定で、上記疑問を解く一定の合理性が生まれる。

翻って自殺には、あなたの言う、映像、目撃証言などはあるのですか?
「自殺を示唆するとも受け取れる」文章の一部が翻訳されて伝わったが、
捜査機関も家族もまだ遺書があるとは断定していない。
極端に言えば、現時点での唯一のファクトは、危さんが水死体となって
海に浮かんだ(浜に打ち上げられていた)という事実のみでしょう。

私個人はたぶん自殺だったかと、細部の解明に期待する気ではあるが
あなたの論法も「どうせそうだろう」の域を出ないものではないですか。