>>447 追記

『我思う、ゆえに我あり』、このデカルトの心(精神)と身体(物体)を別々の実体とする
『二元論』を完全に否定したのがスピノザである。

ブッダも「我」は無い、「無我」に気付く事こそ悟りへの道だと説いた。

スピノザ(Spinoza):実体、属性、様態
https://qlocozy.com/western-philosophy/spinoza-01/

デカルト哲学は、心(精神)と身体(物体)を別々の実体とすることにより心身問題を
もらたしたが、その後、この難問を“解決”しようとする哲学が続々と現れた。

そうした哲学を唱えた1人が、スピノザ(1632〜1677)である。

デカルトは、実体とは他の何ものにも依存しないものだと考え、精神と物体を実体として認めた。

しかし、精神と物体という2つの実体があるとすると、実は互いの存在をあらかじめ
前提していることになり、実体の定義に反することになる。

そこでスピノザは、実体はただ1つであるという“出発点”から自身の哲学を構築していった。

(以下、レス番 >>447 の記述につづく)

ウパニシャッド哲学では、アートマン(真我)は、宇宙の根源原理であるブラフマンと
同一であるとされる(梵我一如)。

故に個人の『我』は存在しないのである。