>>652 つづき

・20世紀の薬物政策と薬物廃絶パラダイム 

薬物使用や所持が問題化され、政策的思考の対象とされたのは、19世紀後半から
20世紀初頭にかけてである。

各国が実質的に薬物政策を立ち上げたのは、1909年の上海阿片委員会、
1911年のハーグ国際阿片会議とその国際協定(1912年)のためである。

これらの会議の主唱国であったアメリカ合衆国では、1914年にハリソン法という
麻薬統制の法律が制定され、他国に先駆けてその使用さえも禁じられた。

最初の国際会議を求めたのはアメリカ聖公会の主教であった。
ルーズベルトは、合衆国の中国移民政策に不満を抱いている中国政府のために、
この機会をとらえて会議を主唱した。

なぜアメリカは国内で薬物を強く取り締まろうとしたのか。それは薬物がアメリカ合衆国
における移民問題や人種問題の象徴とされたからである。

・阿片は中国人労働者によって使用され問題視された。

・コカインは、南部のアフリカ系(黒人)労働者によって使用され問題視された。

・大麻は、1920年代の好景気を支えたメキシコ人の移民労働者によって使用され、
 1929年の大恐慌後に問題化された。

移民たちは、白人労働者の仕事を奪う異分子、合衆国を汚す異分子として非難された。