厳罰による犯罪抑止が困難な理由は山ほどあるが、
このような事例は、極端な例で考えれば、理解が早い。

例えば、核爆弾(最終兵器)の使用を取り締まるルールは存在しない。
しかし使わない。これは厳罰によるものではなく、人類の「何か」である。

「何か」とは、愛、良心、利害関係、保身、罰、なんでも良い。
何れにしても使用しないインセンティブ(動機)が働いている。

使えるけど、使わない。しかし使えば最強!というものはたくさんある。
しかし、それらは何らかの形で制限が入っている。

ところが、制限あるところには、テクノロジーによって、新しい手法で目的達成を試みる。
規制があればあるほど、テクノロジーは発達する。戦争でいえば、バレない攻撃。
軍事用ドローンね。

テクノロジーのパイオニア達にとって、規制や厳罰とは、単なる流れに過ぎない。
規制のある場所とは違うルートで快楽を追求してゆくだけのことなのだ。
つまり規制とは進化の修正として機能するが、規制をする側にとっては、
安定というものはありえないのだ。永遠に目的達成ができないジレンマに陥る。

私は、高度な薬物のテクノロジーを発展させる前に、ある程度の解放をしたほうが
よいと思うわけ。しかしもはや国がコントロールできる段階ではないだろうね。
ちょっと難しい言い回しになってしまった。

一言で一つの側面を語るならば、政治や行政でこの流れを変えることはできない。
対応が精一杯ってことだね。