大麻報道に関わる警察、マトリ、記者との癒着関係は、
このところ、大麻に関する国民の食いつきが甘いな?って思ってると思う。
彼らは、彼らの仕事をしているのであり、案外、諸外国の大麻事情は
気にしていない。

もっとも、気にしていたら仕事にならないのだが…。
仕事は世の中のためになると信じて、一所懸命やらないとね。

しかし、大麻報道とは裏腹に、報道自体が現在では逆効果になっている。
つまり、悪人の増加の懸念を訴えるつもりが、普及度合の公表というように
受け取り側の意識が変わって来てしまった。またか!って感じでね。
大衆も、慣れてしまうのだ。

別に大麻くらいいいじゃん!っていう意識に、少しづつ変わってしまう。
変わってしまう、と、私は表現したが、取り締まり側の立場に忖度表現しているだけであって、
大麻犯罪自体の増加が増えること自体が、大麻合法化運動と化しているのは、
もはや目に見える状況ではないだろうか。

つまり大麻で捕まる人柱の増加が、もっとも大麻解禁運動となっている。
この現象は、人為的なものではないと私は見ている。
人類、一人一人の無意識の表出であって、その本質は、日常生活を充実あるものにしたい。
そういうことなのだ。幸せの実感と大麻の意思が引き寄せあっているわけだ。
人類は大麻と愛で結ばれている。長年離れ離れだったから、
離れていられない絆がみるみる表出しまくっているのだろう。