大麻報道、大麻解禁ムード、嗜好用大麻のコンセンサス。
これらにも臨界点、特異点ってものがある。

ある段階にくると、人々は、どうでもよくなってくる相対化現象。
大麻に関して、良いイメージも悪いイメージも持たない状態ね。
これは、大衆の無意識レベルの反射的反応の感覚で、特に日本人は、
感覚で物事を判断するから、日本にとってもっとも正当性の根拠になる。
理由や根拠の理屈は全て後付けなのだ。

そして、イギリスで、医療大麻が解禁になったように、
日本でも、ちょっと可哀想な大麻取締法の被害者的な事件がおこれば、
即、それに対応することだろう。そして法整備は、決めるのではなく、
対応策として法整備は行われて、万両一致で決まる。これが日本なのだ。

大麻は努力によって解禁されるのではない。そのように見える場合であっても、
使用者が牽引していることは、紛れもない事実なのだ。
名乗りを上げたい運動家、政治家が、最後の一撃的行動を起こすから、あたかも
運動家が話題に上るような形をとる。大衆は傍観していればいいのだ。

またそのような形をとることで、政策課題のブランド化が実現するのは確かではある。
政治プロセスは人の顔(ターゲット)が必要だからね。逆の意味では某女優が
ブランド化したようにね。ガンで死んだ山本さんもブランド化したね。

さて、可哀想な人がブランド化したらどうなるだろうね。