>>185つづき
青井さんの、アヤワスカムーブメントは2.3年前、私も読みました。作ってはいません。
あれは、瞑想系やサイケデリクス系の人たちの一部が、真面目に取り組んだようですね。
アヤワスカというものも抽象的で、ざっくり言えば「各々の考える悟り」が目的ですよね。

あはたのニーズは、「悟りのようなもの」の先の、「悟り」の核心、そしてあなたの
心情としては、全身全霊の確信ではないでしょうか。
このニーズは、今では少数ですが一般概念を共有しやすくなっています。
昔は、ネットがなかったので、体験共有が困難でした。文献に頼っても、
未経験の人の概念説明、観念論だっりする。仏教・禅でも実践ものでなくてはならない。

体験というベースがあり、自身の体験を理解するならば、変性意識の研究がもっとも明るいです。
「悟りのようなもの」をすでに経験して、検証して、次のステップに向かうために、
様々な道や瞑想がありますが、体験ベースがあると、その意味も変わってくるから有益です。

「悟りのようなもの」を経験した人々は、自覚的な人は少数ですが、たくさん居ます。
正確には、生まれた時から自覚的な人も居ます。私の経験上、まったく思い出せない人も居ます。
そういう人は、寝てしまったり、意識が飛んでしまいます。つまり再体験しておらず、
未体験ということでしょう。あるいは、かなり深く健忘している。

「悟りのようなもの」をここで、一つ便宜上結論づけますが、それは「自分」です。
「自分」に成った、本来の自分の求めるものはこれだ!これのようなものだ!という感覚。
これを真我といったり、ハイアーセルフといったり、まあ色々言葉はあります。
しかし、体験している主体が感ずる感覚は、「無時間」のようなものです。

「無時間」を具体的な感覚として表現してもよいですが、長くなるので、要約しますと、
「赤ちゃん」の感覚です。さらに、それを眺めている完全なる「私」。
観察している私と観察している感覚すらも消滅して、世界が私に成った感覚ですね。