▼選抜アイドルとアンダーシステムの弊害について

―とある現場でのこと

かの有名なジャンケン事件の主事たるSTU48の榊美優はあるオーディションで、
グループの選抜入りを考えない候補者は、死んでいる虚像であると言い放った。

そしてそれ自体が矛盾を含むもので、アイドルには常に規律があると言っている。
ところでこうした意識から見た場合の選抜とアンダーの違いとは何だろうか?

ここでは井上小百合と中元日芽香の二大坂道系アンダーに聞く。

井上「私が考える選抜像は、選抜は頑張りすぎる必要がないから、
大多数の人がアイドルの自我を取り込まずに自由に彼女について夢想できる」

―ではアンダーはどうなるのか?

井上「通常の女の子たちが通常のことをできるようにカスタマイズした内容、
そういう普遍性が求められており、アイドルの自我による規律が存在する」

―なるほど。規律という名の外圧とも呼ぶべき環境性がその違いなのですね。

中元「アイドルの振る舞いは皆さんの思う現実と常に一致するとは限らないんです」

―ほう。では中元さんが思い描くアイドルとは?端的にお願いします。

中元「はい。私たちアイドルという機序存在は、アイドルがファンと接近することで、
アイドルと理想が合致していくことを要求する性質を持つし持つべきなのです」

―それはつまり、アイドルとは社会の模範に近いように思います。

さて、要するにアイドルとは何であるのか?。答えは僕らの手の中…。