仲間とはぐれたCは鳥取大学グループが残したテントに駆け込み一夜を明かしたが、27日の8時ごろにヒグマに襲われ死亡した。
Cは死ぬ直前まで様子や心境をメモに書いていた。
28日、十勝山岳連盟の青山義信を現場隊長とし、帯広警察署署員や十勝山岳連盟、猟友会などからなる救助隊が編成された。
さらに帯広警察署は、カムイエクウチカウシ山などの日高山脈中部の入山を禁止した。翌29日、
早朝から捜索していた救助隊は14時45分ごろに八の沢カールの北側ガレ場下で2人の遺体を発見した。
遺体は九州から捜索に加わっていた福岡大学ワンダーフォーゲル同好会会員によってAとEであることが確認された。
29日16時半ごろ、ヒグマは八の沢カール周辺でハンター10人の一斉射撃により射殺された。亜成獣(3歳)の雌であまり大きくはなかった。
30日にはCの遺体も発見された。
雨天で足元が悪いことから遺体を下におろすことができず、31日17時に八の沢カールで3人の遺体は荼毘に付された。
八の沢カールには追悼のプレートがかけられ、そのプレートには「高山に眠れる御霊安かれと挽歌も悲し八の沢」と追悼の句が記されている。
3人を殺害したヒグマは解剖されたが、体内からヒトや持ち物などは確認されなかった。
このヒグマは剥製にされ、中札内村の日高山脈山岳センターに展示されている。