「陰陽道は陰陽五行の体系なんか使わないし易学も使わない」ってのを見たんだけど
じゃあ陰陽も五行も一切使わずに陰陽師さんの占いなんか出来んの?とかそれって何なの?とか
つーか、そもそも土御門家の晴明桔梗紋ってあれ何なの?五行じゃないの?飾り?マジで?
って具合にあっちこっち意味不明過ぎるのに超自信たっぷりなのでげんなりして急速に興味を失ったりしたんだけど
地道に細々調べてる。多分然るべき内実はあるんだろうけど
それもしかしたら「今の占いとは違いますよ」で通るんじゃないか
「五行」大義やら白虎通やらまで陰陽道から締め出して残るものって逆に何なのか分からない

それに「祓い」っていうのは元々神道とか仏教じゃなくて陰陽道のものなんじゃないか
神道は単にそれを採用しただけで元は陰陽道の追儺儀礼が原型だろうと思う
それに「祓い」の解釈も何処かおかしくて、何か霊的なものを攻撃したり除去したりって方向に解釈してるみたいだけど
「祓い」自体がそもそも「神主さんが神前に柏手を打ったら場が『清められた』」という性質のもので
追儺にしても霊的な何かしらに対して鎮まる場を指定して退去を願うとか
指定が無ければその敷地なり近辺一帯からその外への締め出し以上のものではないはず
節分の豆まきなんかが「追儺」の系統でそういう「祓い」の一種だと思うんだけど
多分言われている「祓い」として念頭に置かれているのは「調伏」とかで仏教用語だし
仏教の方法論にしたって回向、供養、引導を渡す事による済度祈願が主ではないのかと
そう考えるとやっぱり「祓い」は陰陽道由来の神道用語と方法論って事になるんではないかな
神道なんて超古代アニミスムから延々伝わる「言挙げされざる」祭祀系統とされてるのに
「祓い」が仏教用語で無ければ一体何がそこに「祓い」の概念を齎したのか分からなくなる
祓いと対で言われる禊は三貴子誕生神話にあるし基本的に「穢れ」の概念が生じた時点で
葬礼とかそういう「祓い」の方法論も発達してきてるはずだとは思うけど
だったら尚更、その発達に従って渡来系の外来文化のそれに関心が集まったはず
で、「それ」は陰陽道では無いのか、っていうのが分からない