飛鳥涼の詞を語るスレ3 CHAGE and ASKA
>>174
なんだろうね。
「終着」とか「安息」とか、はたまた「自分自身の完成形」とでも言おうか、
そういったものがいつまでたっても得られない…っていう歌かなあ。
ただ、終わらない葛藤、焦り、恐怖を歌ってるのか、
終わらせない、終わらせちゃいけない、っていう決意の歌なのかは分からない。
当時の、地位も名誉も金も完璧に持ってたASKAが、
果たしてどういう気持ちで歌ったのか…。 ネバエンは低い声が苦手で聴くの避けてたから詞も覚えてなかったけど
改めて歌詞カード眺めて詞を読んでみたら
やっぱりわからなかった 100人いれば100の考え方があるかもしれない。
なら100の考えを持った1つになれるように
すべてを受け入れろ。 >>191
96年頃の始球式見たけど、野球の才能ゼロだぞ ASKAのはるかな国からは当時の自殺問題を反映しているんだよな。ちなみに氷室京介の当時の曲にもあるね、少年の自殺。 >>191
チャゲはグラサンに帽子っていう解りやすい記号で
顔の大半が隠れるからねえ
ASKAでやっても似たような格好の集団ってだけになる
ネバエンで一番よく分からないのは
「耳については離れる事のない懐かしい人の声で」
文脈的に唐突すぎるし説明もない
誰が何て言ってるっていうんだろうか? ネバエンの歌詞の意味
全体的にも部分的にも分からない 曲を書いているときから「アメリカ」という言葉が浮かんでて、それも派手でない部分でのアメリカがイメージされて、
常に存在するもうひとりの自分と、この状況を重ねてみたいなと素直に思ったんです。
曲が短いから、言葉の贅肉を削り落とすのに時間はかかったけれど、今、この時期にこの歌がうたえてよかったという一作になりました。(ASKA) 俺なりに解釈。
人がやれるようなことなら誰かがうまくやるだろう
(俺は俺のやりかたでやっていく)
小さな夢に揺さぶられながらも(人になんと言われようとも)
変わり続けていくことでしか生きていけない。
何かを追いかけるとか、何かに追われるとかではなく、
アメリカのように動じない心で夢に生きてみたい。
懐かしい人の声がふと耳元で囁いてくれるように、
ふとしたときに心に秘めた決意を思い出して(また立ち上がる)
(この部分は、「can do now」の感じに近いかな?)
昔はサビがふわっとしてるから余り聞いていなかったけど、
心の奥底にあるような秘めた情熱を表してるようで、
今では個人的に凄く好きな曲の一つ。 >>199
ライナー読んで当時もわからなかった
もう一人の自分とこの状況の
この状況とは?
アメリカ経済?世界のなんか?日本の?
何と重ねたらネバエンなんだろうって 感じたのは>>200みたいな印象に近いかも
でももっと静かな意思というか、「そうありたい」と心の隅で願うような、つぶやくような思いに感じる
アメリカって当時も今も夢に生きてるか?
追うでも追われるでもなくってアメリカのこと?
アメリカこそ追ったり追われたりな国の最たるものでは?
意味がわからない 結局言いたいのは、「もういつか僕は〜」の部分じゃないかと思う。
比喩もなしにまっすぐ言い切るのは、ASKAさんの歌詞では珍しい故に一番目立っている。
ASKAさん本人の状況なら、世間一般に受ける音楽だけ発信していくのは楽な生き方かもしれないけど、
自分の求める音楽を、どんな批判があっても変わりながら追い求めていきたい、って決意だと思うんだ。
そういった状況はこのやり方をしていく限りずっと続いていくんだろうけど、
諦めない、終わらせない(never end)、ということじゃないかと。
「アメリカ」の例えは、実際がどうとかっていうより、
単純に自由の国→自由な生き方、っていうイメージだと思う。
あと…解釈は人それぞれなのに間違ったなんて言い切れる?
曖昧なイメージを言葉にするのは難しいんだよ。
>>201の解釈を書いてみてくれ。そう言う取り方もあったんだって思いたいから。 >>199にある「派手でない部分でのアメリカ」を考えるに…イメージの話ではあるけど、
アメリカってもう誰もが認めざるを得ない世界の中心でしょう。(ネバエン当時も)
金も武力も権力も文化も影響力もあって、はたから見ればある意味もう完成されてる。
もう「夢」なんて叶ってるような感じがする。それなのに、依然として
あーでもねーこーでもねーって理屈つけて問題提起して、もっと良く!もっと高みへ!
って感じでもがいてる。それはもはや誰に勝つためとか、他者を意識したものではない。
あくまでも自分達自身の満足と充実のために「変わり続け」ようとしてる。
ASKAは当時、邦楽アーティストとしては規格外の成功を手に入れてた。
はたから見たらもうウハウハで怖いもんなしの状態に見えてただろうけど、
本人の中では、いやそういう問題じゃなくおれのミュージシャンシップは
また尽きてないぞ、まだここが終着点じゃねーぞ、って気持ちがあったのかもね。 アメリカのイメージが間違ってない?
マスコミが作った素晴らしいアメリカ像だろそれ
派手でない部分のアメリカなら全く逆じゃないの?
アメリカの抱えてる負の部分
貧困、格差、双子赤字、人種宗教問題、
湾岸戦争の後処理、その他まだまだいくらでもある
そっちだと思うから
追うでも追われるでもないアメリカの背中が
分からないわけで >>207
おれ的には、もっと分かりやすい、ってか簡単なとこだと思うな。
派手な部分………アメリカンドリーム、ハリウッド、権力、金とか一見完成されてるように見えること
派手でない部分…おれが書いたようなこと
…くらいに考えたら、しっくり来るんじゃない?
ネバエンで書かれてるのは、「派手でない」けど「夢に生き」てるアメリカ像でしょ?
あなたがの言うとこまで掘り下げてしまったら、夢もクソも無いよ。
もちろん、あなたの書いた事の方がアメリカの深部で、暗部だけどね。
アメリカのいろいろある面の、どこを切り取るかだ。 「夢に生きる」という言葉は前向きさを感じさせる物だし、
「背中」という言葉でもう一方の側面を表しているのだろうから、
両面を持っているという事だろうね。「もう一人の自分」とも言ってるし。
で、「アメリカの派手じゃない部分」を暗部とも見れるわけだけども、
「古き良きアメリカ」っていうイメージなのかもという連想もした。
根拠もないし確信も持てないけどね。
>人がやれるようなことなら誰かがうまくやるだろう
ここの解釈は俺は違うかな。
「人のことならば人がやるだろう」
この言葉をストレートに取れば
人の事には構ってられないって意味だから、
俺は自分の選ぶ道をゆく、
人の世話をしている余裕はないって意味じゃないだろうか。 >>210見てて思った。アメリカの「背中」なんだよね。
「背中」って言うと男らしさの象徴だから、
そういうワイルドで自由なイメージってことじゃないかな。
また、「背中」だから自分もそれを追いかけていきたい、ともとれる。
「人のことならば」の部分は確かに迷うね。
ただ、ここを俺は「人がやったとしてもそれなりに伸びていく」
(なら、俺は俺の道で行く)と言う風に取った。
この部分から、HEARTはYAH YAH YAHと同じような曲調で頼むと言われて
それでも色を変えて作った曲だというエピソードを連想した。
”売れそうな”曲だけリリースしていけばそれなりにいけるんだろうけど、
それは俺の行く道じゃない、という。
ASKAさんの込めた意図と、自分のこの曲に対する思いの2つあるのが面白いな。 ここでASKAが「えwスンマセンそこまで深い意味ないっすけどww」とか言ったらズコーッだなw
まぁそういうの含めてやっぱり詞から何かを想像するのは難しいけど楽しいね
人の気持ちを推し量るのと似ている
好きじゃなかったら知りたいとか考えようって気にならんし
惹かれるから考えようと思うんだよな
そうじゃない人には「わかりにくい」ってだけだろうしASKAの詞は 他人のことなんか構ってんな
自分のことに集中しろや
例えツギハギだらけだとしても
自分の方向に歩くもんだから人なんて
自分だってそうやって変わり続けながら延びる生き方しか
出来なくなった
それは終わらない
終わらない
アメリカのようにわかりやすい夢に生きるような
男の背中を追いかけたり
追われたりの競争じゃない
それは終わらない
終わることはないんだと懐かしい人の声が自分に
ささやき繰り返す
終わらない
輪廻のように
まっすぐ伸びた円を歩く
終わらないで繰り返す道
そこを歩いている
アスカのテーマ >>211
「人のことならば」の部分、なんかしっくり来たわ。
え?まだそれを俺に求めるの?もう俺である必要なくね?
そりゃ俺がやったらすんなり上手くコトが運ぶのかも知れないけど、
他の奴がやって仮に下手糞だったとしてもそれなりの形にはなるだろ?
じゃあもう俺じゃなくてもいいじゃん。
↓
俺まだまだやりたい事、やんなきゃいけない事が胸の中に
せわしなく溢れてきてるんだよね。同じことばっかやってる場合じゃない。
止まってられないんだわ。次々行っとかなきゃ。終わんねーんだよ。
みたいな。
>>212
個人的な話で申し訳ないけど、昔趣味でバンドやって作詞とかもしてた事があって。
ファンやってくれてた子が、歌詞解釈をブログに書いてたんだよね。
まさに「えwスンマセンそこまで深い意味ないっすけどww」状態だったよ実際w
まーもちろんASKAと同列に語れるレベルではないんだけれども、
解釈って膨らみまくるんだなーって思った。面白いよね。 迷宮のReplicantの詞も好きだ
小説読んでるような、映画見てるような、そこにしかない世界があって
聴いてるとそこに迷いこんだような気分になるけど
誰かの夢を見つめてるだけのような気分にもなる
>>212>>215
もちろん読み手が勝手に深読みする事も大いにあろうと思うけど、
「所詮は人の解釈」とか「考え過ぎ」と言って思索をぶった切るより
あーでもないこーでもないと詞と睨めっこする方が有意義だよな。
長い時間を跨いで自分なりに納得いく解釈に出会った時に訪れる
「我が意を得たり」感には何となく雰囲気で受け止めてるだけじゃ
味わえない感慨があるし。ASKAの詞はそれを匂わせてくれる。
どちらかというと、考えに考えまくった先に捻り出された言葉は
普通の言葉の回路じゃ辿り着けない類の代物で、
そこに至る道筋をASKAは殆ど残してくれてないように思う。
http://www.chage-aska.net/discography/music/1990M011
上の「水の部屋」のライナーノーツを見てもそうだけど、
ASKAは上手く表現できたと言ってるけど、
「折り紙の優しさ」だけでそんなエピソードから喚起される心情は
フツー連想できないっつーのw
>曲が短いから、言葉の贅肉を削り落とすのに時間はかかった
『NEVER END』もいわゆる「ヒント」を削ぎ落としまくった「不親切」な作品かと。 > 「折り紙の優しさ」だけでそんなエピソードから喚起される心情は
> フツー連想できないっつーのw
無理ゲーw
結局どんなにわかりやすい言葉であっても
「言葉は心を越えない」に尽きると思う
迷宮のreplicant は、凄く現実的な描写なんだと思う。
実存哲学的と表現すると、大仰で堅苦しいと思われるかも知れないが。
後は荘子の胡蝶の夢も連想するかな。
自分の命の儚さと世界の不明瞭さに目眩を覚えつつ
しかし目の前の現実は生々しく冷ややかにそこにある。
でも物事の足場や起点が不確かなものなら
そこに連なる大切な記憶や愛した他者も容易く途切れて
その価値をも確信できなくなってしまう事への不安。 夢うつつ、という感じ。
夢のような現実、現実のような夢。
自分という存在の不確かさと、でも確かに生きている感覚と。
これシンフォニックのバージョンが好きすぎて毎日聴いてる >>210
当時、プロデュースしてた黒田有紀の事も
「素材としてすごく良い」と褒めつつも
小室の番組で「正直、自分の活動だけで勢いっぱいで他人の事をやってるヒマは実は無い」みたいな話をしてた。
小室と違って、自分がプロデューサーで自分が素材だから大変だったと思う。 妥協はできないタイプだもんな
でも結果「cry」という名曲が出来たわけだ
「cry」は黒田ゆきのもASKAのも両方好きだ
声と詞がすごくマッチしてる 椅子の背もたれを抱いた
跨がる様に座った
顎を乗せながら泣いた
本当本当に痛かった
死ぬ程泣いても生きていた
cryは淡い青春短編映画の様な爽やかさがある
こういうシンプルな物も又書いて欲しいね > 死ぬ程泣いても生きていた
この詞が死ぬほど好きで仕方ない
好きというか突き刺さるというか >>226
自分も好きだ。
どんなにつらくても悲しくても腹は減る みたいな感じで。自分的には。 ASKAにしては飾り立てないストレートな歌詞だなと思った >>226
もーキツくて辛くて死んじゃいそうなんだけど、実際死なないし、死ねない。
あるのは、生きて、解放されない苦しみを受け止め続けてる、という現実。
ほんのワンフレーズなのに、すさまじく的確だし、リアリティがあるよね。
この曲、恋人への気持ちが一切歌われてないってのが逆にリアリティを増幅させてるのかも。
他アーの名前出して恐縮だけど、ドリカムの「すき」と通じるものがある。 「太陽と埃の中で」について考えてもいいっすか?今さらな選曲かも知れないけど。
大好きな曲なんだけど、自分の中でイマイチすっきりしない部分がある。
まず1番だけ見れば、なんか頑張ってる夢追い人の曲?
きついけどもがき続けていきたい、って感じでまとまるんだけど。
2番では「上手に上手にはぐれて行く」っていう、
なんかちょっと夢から覚めてしまってるような表現がある。
しかも「涙も誘わずに」なんだよ。大人になってしまってる。
覚めてしまった夢に対しての思い入れも、もはや大して無いような。
そんな後に来るサビは、1番のとは全く違った「諦め」の印象を受けるんだよね。
でも最後には、英語で「どこでもおれは夢を探してる」ってのがある。
結局この曲の主人公は、前向きなのか?それともどこか見限ってるのか?
「風吹く丘の少年」の一節もよく分からない。
ひょっとしてここに、この疑問のヒントがあるのか? 何か一つの譲れない夢を歌っているのではなく、
繰り返し夢を見てしまう自分自身の事を歌っているのだろうと思う。
「追いかけても掴めないものばかりさ」
ここも、夢や憧れが無数にある(あった)を示唆している。
ASKAはこの歌を「青春賛歌」と言っている。
「僕らはいつだって風邪を引いたまま」というのは、
青春の気持ちを引きずったままと取れる。
何度も夢の喪失を経験し大人の諦めの視点を得ても、
それでも尚も憧れに手を伸ばし続けようと誓いを立てているのではないか。
「すべての夢を手にしたような…(少年) 忘れない」
凄くベタな言葉に要約すれば「青春の気持ちを忘れない」かと。 抽象的なしなのに皆さんの解釈が大体同じ向きに収斂するのは
やはりそれが飛鳥さんの意図に沿ってると言うことなんでしょうか?? >>233
それは分からない
似た経験値の同じようなタイプが
解釈語りたがってるだけだから
針小棒大に理解者ぶってお説捏ねたいやつしかいない
解釈が割れたら餓鬼のように罵り合うレベルが
ちょっと背伸びしたい年頃に無理しちゃった文章で
二三人で回してるから >>232
へー青春讃歌。なるほど。
そういうASKA談のってあんまり知らないから参考になるわ。
あと、夢じゃなく「(繰り返し)憧れに手を伸ばし続ける」っていう
言い回しの方がしっくりきた。なんかイメージ掴めたような気がする。
>>233
一曲まるごと、全部が全部抽象的なわけじゃないからね。
案外サビなんか直球だったりして、「向き」自体はもう示されてるもん。
そこを柱にして前後のなぞなぞを解いてるだけよ。もちろん解釈に個人差はあるし、
>>217の例みたいに、完全にASKAの脳内で完結してるようなのは無理だけどねw うじゃけた顔してどしたの〜?
つまらないならほらね WAになって踊ろう〜 今すぐ >>235
>そういうASKA談のってあんまり知らないから参考になるわ。
公式サイトは見たことある?
公式のDiscographyで曲たどればそこにチラッと載ってたりするよ (´・ω・`)
( ´・ω・)
( ´・ω)
( ´・)
( ´)
( )
(` )
(・` )
(ω・` )
(・ω・` )
(´・ω・`)
( ´・ω・)
( ´・ω)
( ´・)
( ´)
( )
(・` )
(ω・` )
(・ω・` )
(´・ω・`)
( ´・ω・)
( ´・ω)
( ´・)
( ´)
( )
(・` )
(ω・` )
(・ω・` )
(´・ω・`) 「太陽と埃の中で」の出だしは、まんま自分の子供に
インスパイヤされた詞かな〜と。 昔はあんまりだったのに
最近好きでずっと聴いてる
好き好きタイマー今頃始動したみたいw
野いちごがゆれるように >>245
自分も野いちごがゆれるように大好き
いいよな、なんかふわふわしてる
えらく長い時間の好きすきタイマーでしたなw もうすぐこの街のもとに光が届く
葉書を差し込むように こんな人いるのか分からないけど、セイの歌詞が嫌いw
でもメロディーはすごい好きでピアノでもよく弾くくらい。
SAY YES大好きだわ
男の弱さとプライドが見え隠れして >>249
参考までに、どのへんが嫌い?
ちなみにおれもピンと来ないな。いつものような技ありのフレーズも特にないし。
まあ「君は確かに僕を愛してる」はある意味技ありのような気もするけどw 好きな側から好きなところ語ってみる
「言葉は心を越えない
とても伝えたがるけど 心に勝てない」
脳みそにドーンと来た
SAYの頃って自分は小学生で「SAY」の単語の意味すら知らん頃だったから当時はよくわからんかったけど
大人になって歌詞読んで、「こういうことかぁー!!」ってしみじみというか
もう胸を揺さぶられて。
男と女じゃこの歌詞の感じ方って違ってそうだ SAYYESの歌詞が嫌いっていう人は大体、
男の強引な押しの強さみたいな読み方してるんじゃないのか。
好きな人は、勇気をだして一歩を踏み込んで仲を進展させる情感を
読み取ってるんじゃないだろうか。
ドラマの主題歌として売れに売れまくったのは、
視聴者がドラマに感情移入して歌詞を受け取ったんだと思う。
ドラマはよく見たこと無いけど。 36度線の
僕の地球儀は もう使えなくて
ただ部屋のスイッチで 朝と夜とを行った
の部分が良く分からない 当たり前にある1日の時間の移り変わりさえ自分ではもうよくわからなくて
部屋のスイッチを切ったり入れたりして明るくしたり暗くしたりすることで朝と夜を意識する日々だ
みたいに受け取ってた
何ていうか、自分の生活はもう人工的なもの、日々の切り替わりも事務的なもの、というか
初めてきました。
今日、たまたま昔大好きだったlove songを聞く機会があって、ようつべで
色々聞き漁ってましたw
やっぱり、曲も歌詞もいいですよね。
私が特に好きなのはwalkとlove songで、有名どころしか知りません。
他に、ラブソング系でいい歌詞の曲ってどんなのがありますか?
このスレが一番熱心な方が多そうなので… 即レスで思いつく限りをざっと
例に上がってるASKA曲で有名曲も含めて
はじまりはいつも雨
愛温計
熱い想い
砂時計のくびれた場所
DO YA DO
天気予報の恋人
no no darlin'
if
鏡が映した二人でも
MAN AND WOMAN
抱き合いし恋人 僕は僕なりの
you&me
cry
ONE
こんなふうに
no doubt
C-46
なんか終わった恋ソング多いなw 失恋ソングは別扱いじゃね
流石に該当するのが多くなり過ぎる
>>259が挙げた内、以下の3つは失恋ものではない。
僕は僕なりの
you&me
こんなふうに 何が?
3つが失恋ものじゃないって言ったのは
>>257に対して解説する為なんだけど。 思いついたのは
SAY YES
砂時計のくびれた場所
天気予報の恋人
no doubt
君が愛を語れ
僕はすっかり
ふたり
cry
かな。
ASKA曲でひとくちにラブソングって言っても難しいよね。
can do nowもある種のラブソングだと思うけどlove songのような意味でのラブソングとは言い難いし。
スタレビとの曲「デェラ・シエラ・ム」も素敵なラブソングだと思う LOVE SONGって、恋愛のラブソングじゃないし…。
>>264-265
そう言ったって、普通に聞いて普通に解釈したら
WALKもLOVE SONGも王道のラブソングですよ。 >>267
そうだね。
彼の歌にはいろんな愛が込められてるけど
恋愛の歌ばかりに思われがちだからね。
どっちもラブソングには違いないけど、
恋愛ソングじゃないね、って話だよ。 しつこく言葉を返すようですまんが、どちらも
恋愛ソングとして見るのが普通の解釈じゃね。
当時のファンじゃないしエピソードやメッセージは知らないが、
「抱き合う度にほら欲張りになってゆく」て歌詞は
恋人同士の描写と見るのが自然だし、
「I love you All my love」はライブで
SAY YESと?げて歌ってたし。
もちろん、それだけじゃないのは分かってるけど。 >>269
うん、わかるよ。
ここはASKAさんの詞を語るスレだからね、
書いたときの思いは違ったんだよ、って話。
LOVE SONGは曲作りに対する思い、
WALKはファンに対する思い。
ラブには違いないけど、恋愛とは違う。
ASKAさんも曲は成長する(解釈が加わる)って言ってたし
聞く人それぞれに解釈はあってもいいと思うよ。 WALKはファンに対する思いって解釈初めて聞いた
それを言うならLOVE SONGじゃね >>271
LOVE SONGは曲作りに込めた思いって、
NHKのSONGSに出たときも言ってたよ。
WALKはなんだったかなー。
ソース忘れたわ。 ♪ふたりは小さな複数だけれど
とても大きな勇気になれる
このフレーズばっか頭を巡るときがあった
よくこんな言い回し思いつくなぁと感嘆した
俺は、捻った言い回しだなぁと思った。
最初に聞いたときは「小さな複雑」だと思った。 草原にソファをおいての
「僕は時々寂しかったけど大人になると、もっともっと寂しかった」
がたまらなく好き
抉り出されるような感覚に陥る L&Rの「つま先で転がった未来」の意味がわからん。 ボールをちょこんとつま先で蹴って、転がって行くような様子を
チャゲアスのデビューからその後に例えてるんじゃないかと。
デビューのためにと組んだはずが、いつしかチャゲアスとしての未来を見てただろ?みたいな。 >>276
草原ソファのそのフレーズは「不思議の国」の
「大人になれば悲しみなどすべて消えると信じてた頃」のバリエーションだよね。
少年時代回顧の曲ってASKA曲でひとつの大きなテーマになってると思う。
(他には例えば夢はるか、心花、僕がここに来る前に、など)
テーマ別に曲を集めて系譜を辿ってみるのも面白いかも。 MULTIのLEAVE IT TO THE FUTUREの
♪走れよ 子供は
歌えよ 大人は
って部分が好きだ
Chageも啓介さんも誉めてたな >>284
「心地良さにまでメモを残したがる」
エロ動画のブックマークのことかーーーっ!! いまさらすいません walk のAメロ詞が解読出来ません
誰か教えて下さい >>288
夜明け前に作詞やらをすることの多いAさんが
いろんなものと戦いながらもがいている様子だと思うよ