なんとなく近いけど、
曲ごとに主体となる内容はありつつも、
あくまでそれを手段として、
人間としての姿勢や在り方を問い、
自責を掻き立てて自身の在り方に疑問を叩きつけて、
責め立てたその奥を求めてさせているように感じる。

話は少しだけそれるけど、
その叱責を聴く人によって他人にしか向けない人と自分自身にも向けれる人がいる。
また、自分に叱責を向けることができても、ただひたすら思い悩み自分を軽んじる人と、叱責と真っ直ぐに向き合い自身がどうあるべきかを考えられる人とでも分かれる。
多くのファンは他者や周りの環境ばかりにその叱責を向けがちで、考え方が自分を棚にあげた被害者視点・悲観的視点になっている傾向があるように思う。
だからDIRの曲はその人の解釈の視点によって、物事に対する姿勢や見方が全く逆になる気がしてる。それがあるのかないのかは別としても、なんかファン同士の視野の格差を感じる。

京自身は、聞く人間へ問いでもあるけど、正直希望は持ちつつも期待はしてない状態なんじゃないかな、ただ何よりせめて自分だけは自分自身に求め続けたいんだと思う。本当の意味で自分のために。

もちろんあくまで想像妄想の域。
キモ長くてごめん。