詩に至る病
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詩を書くのに技術というものがあるとするなら
それはどの様なものか?
どうすりゃ少しはマシな詩が書けるのか
そんなことをちょっとぐらい真面目に考えるスレになればいいと思います。
何を書きゃいいか分からない人はとりあえず
以下の質問に回答してみりゃいいんじゃないかな?
【1】詩とは何か?
【2】あなたにとって、いい詩とは何か?
【3】どうすれば、いい詩が書けると思うか?
【1】謎掛けの深い版
【2】素人にはマネのできない芸を見せてくれる詩を素敵だって思います
【3】語彙を増やす!! @心のスナップショット
A技巧より曇りのなさ
(ゴッホは絵画技術が低かった)
B自分にうそをつかず生きる
書く前には心のレンズを拭いておく >>2
センスの中に技術も含まれると思うんだが、どうか。
たとえば
「お母さんが作ったおいしいカレー」
「おいしいカレーお母さんが作った」
前者は普通の文章、後者は倒置法による技巧的な文章。
倒置法をさらっと使えるのは技術ともいえるしセンスともいえる。
また、
「おいしいお母さんが作ったカレー」
これは「おいしい」が「お母さん」にかかるため意味のとりにくい悪文。
しかしこの悪文も使う状況によってはプラスの効果を産むかもしれない。
単に技術にばかり囚われている人は一目見て「センスない」というだろうし、
センスという名の漠然としたものにばかり囚われている人は無自覚にこうした悪文を量産するだろう。
技術をセンスのうちと心得たバランス感覚をもった人だけが
こんな悪文さえも名文に変えてしまう魔術師たりえると思うんだが、どうか。 >>5
ゴッホが小学生の時どれほど見事な写生画を描いてたか知ってる? >>7
ゴッホって大人になってから絵を始めたんじゃないの
ピカソと間違えてない? >>8
ゴッホは10歳前後くらいからよく好きで絵を描いていたそうだよ。
前にそのスケッチの一枚を見たことがあるんだけど、
これを小学生が描いたなんて信じられないってくらいに立派な絵だった。
遠近法がおかしいとかでピカソやダ・ヴィンチの少年時代とは大分神童具合に差があるらしいけど、
素人の自分には充分びっくりできる上手な絵だった。
画家になってからの作品にあるあの個性はまったくなかったけどね。
そのスケッチを見せたくて検索したんだが出て来ない・・・ 詩って、作るのは一番簡単なもんだと思ってんのね。自分の思ったことたらたら書いてりゃ、それっぽくなるし。
小説みたいに整合性もいらんし、長くても短くてもいいし。
絵画みたいに絵の具もいらんし。
一番簡単で一番自由な芸術表現だからこそ、それを沢山の人が観賞するに足るものにするのは、難しいんじゃないかしら。どうすりゃ、自己満足超えられるのかしら。 解釈厨を味方につければどんな言葉の羅列も名詩に化けますよ >>11 それはそうだと思うが、解釈厨を味方につけるにはどうすればいいのか、という問題が残る気がする。
読む者を単に混乱させるだけの羅列ではダメで、そこに様々な人々が群がる釣り餌を沢山ぶら下げておく、ということではないかしら? ここまで真面目にレス読んで、
自分が吐き捨てようと思ってた詩を
すっかり忘れちまった。もういいや。
【1】知らん。
【2】知らん。
【3】知らん。
あ、そうだ。
タイトルだけは思い出した。
けど、コレ書いてるうちに
忘れた。
俺にとって、
詩とは そういうもの。
>>13
つまり、思い付きで吐き捨てるものであるというのは分かった。
その源にあるものも、すぐに忘れられることが出来る、と。
だったらなんで、わざわざ詩なんて書いてんだ?表現衝動オナニーなの?ゲロなの? 【1】メモ。またはまとめ。
【2】必要な時に必要な言葉。魂の形。
【3】関係し対話する。
日常的な言葉で書いた詩って鑑賞には堪えませんけど
弱気な心を励ますには役立ちますよね >>15
関係し対話する
というのは何と何が関係するの? >>16
日常的な言葉ってのが、どのくらいまでのことを想定してるんか分からんけど、
弱気な心が励まされるという所から察するに相田みつを的なのを言ってんの?
言葉が日常的であるかないかは、多分書き手側の選択の問題でしかなくて、
読み手にとっちゃ、どちらでも、いいものは評価して、
ダメなものは全く評価しないと思うけどな!
どちらも読ませる為にはそれなりの計算が必要というか、
表現することの難しさはあるとおもーよ。
個人的には
何の役にも立たないけど、
これはすごいと思わせてくれる様な詩が好きだ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています