個人と個人の違いはある。
でも君の詩作には君の個人はないだろ。生きた証しとか刻んでるのを私が見落としてる、なんてことはなく、君はそれを書いてないでしょ?
人間が生物の特徴として持っている、認識の仕方とか感じかたがたくさんあると思うんだよね。
音の配列を音楽と感じるとか、意味の配列を論理と感じるとか、視覚パターンを美と感じるとか。

同じレベルで、人間には言葉によるイメージのある展開を詩情と感じる性質があると思うんだ。

君の詩作/発表行為には、私はそれへのアプローチを感じない。

私の個人的な詩情へのアプローチを押し付けたりは、もちろんしないよ。別の次元の話です。