「数学の始まり」は何時か、何処の国の誰が初めて数学を作ったのか、
といった難題はそう易々と答えの出るものではない。
これまでギリシャの数学が、「数学の始まり」とされる場合が多かった。
これはギリシャ数学が、証明を非常に重要視しており、
それが我々の現代的な数学の感覚に適応しているからであろう。
然し、「証明」に拘泥しなければ、どうだろう。
証明のないもの、「そんなもには数学ではない」と簡単に結論を出さずに、
「数学の曙(あけぼの)」でも、何でも好いが、そうしたものをも含めて考えれば、
人類の文化の歴史を更に掘り下げて行けるだろう。
「あんなものは所詮計算練習に過ぎない」と言わずに、
古代人の足跡を辿っていき、考えられる最大限の譲歩をして、
数学を広く広くより広く考えていけば、その萌芽は、
人類の誕生と同時、或いは、知性の誕生と同時期から始まったのではないか、
と考えられるだろう。
人類創生の苛酷(かこく)な条件の中、生き残っていく為には、
獲物の確保から分配まで、数を数える行為から無縁で居られる筈がないからである。