だから、正しさ、というのを考え始めてるのかもしれないです
それが軸というか。芯というか

自分なりの正しさを恐れないようにしたい
それで保てる最低限の正直さを保障できるようにしていたい

なんとなく、これから証明を始めようとしていくのかもしれません
それが第3段階かもしれないですね

折り合い、兼ね合い。ちょうどいい所でしょうかね

いくら負けたい意識でいようとしても
それを忘れさされるような世の中の構図
じゃないと生きていけないとか
不自由ながらも、それなりの保障

でもそれ以上に、自分なりの正しさの保証が欲しくなってきてたりするのかもです
自分である意味が欲しくなってきてる
自分でなくてもいい意味がもう、自分の中で無くなってきてるのだと思います

ほんと、少しは偉そうになりたいくらいです
勘違いくらいできるようになりたい
でも確実に失敗するから、それができなくなってるんです
じゃあ、失敗しない程度で、アホみたいに偉そうになりたい
それでやっと、イタい勘違い
でもそんなのが意外と自由だと感じたりして、楽しかったりするのかもしれないです

俺はダメ人間になるしかないです
他人から見えるダメ人間の形ではなくて
自分の中で思うダメ人間じゃないといけない

底辺だと思える気にならないと、どうしても楽しめない
とにかく普通が無理みたい
だから、どうしても普通というのが嫌になるしかない
それが自分の中の最低限の常識かもしれないですね