>>218
なにかしらのルールの中、まず前提として守らないといけない
もしルールを破ればペナルティーで不利になり、ある所を超えると失格となりますよね
それはもう、敗北のようなもの

でももうちょっと俯瞰というか、自分本位で考えた時
そもそもその勝負自体、勝ちは本当に勝ちと言えるほどのことなのか
俺は結構子供の時から、普通にそういう疑問が結構湧いてきてたような人間でした

例えば何かのコンクールのようなもの
学校内という範疇の中の話だけでもいいです
結局、誰かにいかに気にいってもらえるか、って話が先に来ることが多かったと記憶してます
模範のようなもの。ある時は自然とその位置にいける時もありました
つまり、その事に関しては、自分の中でも自然と、一応ベストで素晴らしいと思えるものが評価してもらえた気になれました

でもある時、俺はそういう模範的なものへのつまらなさが芽生えてきたわけです
飽きでもあるし、評価を下す権限みたいなものを有してる人にわざわざ合わせないといけない事のつまらなさ

模範を逸れるというよりも、新しい要素を加え、明らかにディテール的には文句ないはずのものに仕上げてみました
すると、評価はガタ落ちとなりました
とにかく煙たがられたような意識になってしまいました
トラウマというほどでもないけど、個性の発揮を否定される義理まではないと、後々思いました
そうじゃないと、自分の純粋さを消されるので。心理として認識をそう埋め合わせ、割に合うようにして自分を保ってたんだと思います
自分が間違いである理由を見つけられなったのでなおさらでした

好みとして嫌悪されても大いに結構でした。それくらいの覚悟は、子供の時から大人を見てればなんとなくでもわかるもの
でも、ディテールだけは評価してもらうべきだった。そうじゃないと公平とは思えなかったからです
極論ですが、自分の純粋さ。すなわち普通の個性です
それまで否定される筋合いは絶対にないです
わざわざ人はそれぞれ違う顔を持って、それぞれがそれぞれであるために、顔が違う
違う事を許し貰えないという事は、個性の否定にもなります
思い入れが強いものの否定され、幼かった自分を考えたら、やっぱりそういう感受性があって普通だったと思います