ポエトリーです
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に住んでゐるのであるぞ。心を肉体として住んでゐるのぢゃ。その
中に又住んでゐるのぢゃ。ひらたう説いて聞かしてゐるのぢゃ。霊
人と和合してゐるから、かみかかりであるからこそ、三千世界に働
き栄えるのぢゃぞ。神界のことも判る道理ぢゃ。幽界のことも判る
道理ぢゃ。人間の云ふかみかかりとは幽界のカミかかりぢゃ。ろく
なことないのぢゃ。かみかかりにも、かみかかりと判らんかみかか
り結構ぢゃなあ。まことぢゃなあと知らしてあるのに未だ判らんのか。
(五月八日)](1) / 白銀の巻(第25巻)(第六帖)
◇[天国がうつって地が出来てゐるのぢゃから、霊の国は更に立派、
微妙ぞ。天界のもの光り輝き幽界のもの暗くなる違ひあるだけぢゃ。
その時の状態によって変化するが、総ては神が与へたのぢゃ、現
界同様、与へられてゐるのぢゃと知らしてあらうがな。時間、空間も
あるのであるが、ないのであるぞ。同じ状態にあれば同じ処に住み、
変化すれば別の所に住むのであるぞ。見ようと思へば、念の中に
出て来て、見ること、語ること出来るのぢゃ。見まいとすれば見えん
のぢゃ。自分で見、自分で語るのぢゃぞ。時、所、位、総てが想念
の中、想念のままに現はれて来るのであるぞ。判るやうに申すなら
ば、時間も空間も映像であって、情態が変るのみのことであるぞ。
情態のもと、本質は限りないから、無限であるから、自由であるか
ら、霊界は無限、絶対、自由自在であるぞ。現界では、時間に順に
得たものでも、心の中では時間に関係なく、距離に関係なく、一所
へならべられるであらうがな。心の世界で、時間、空間のない道理
これでよく判るであらうがな。(五月八日)](1) /
白銀の巻(第25巻)(第七帖)
▲No.99■2021年10月26日……地底暦2021年4月15日
※▽No.99■2021年10月4日……地底暦2022年4月16日 を参照 >>189
§至恩(※巻頭)
●至恩の巻(第6巻)(第一帖) ,
▽No.114【I】■2021年10月27日……地底暦2022年5月9日
§至恩(※巻末)
●至恩の巻(第6巻)(第十六帖)
太陽は十の星を従へるぞ、原子も同様であるぞ。物質が変るので
あるぞ、人民の学問や智では判らん事であるから早う改心第一ぞ、
二二と申すのは天照大神殿の十種(とくさ)の神宝に・(テン)を入れる
ことであるぞ、これが一厘の仕組。二二となるであろう、これが富士
の仕組、七から八から鳴り鳴りて十となる仕組、なりなりあまるナル
トの仕組。富士(不二)と鳴門(ナルト)(成答)の仕組いよいよぞ、これ
が判りたならば、どんな人民も腰をぬかすぞ。一方的に一神でもの
を生むこと出来るのであるが、それでは終りは完う出来ん、九分九
厘で【リンドマリ】ぞ、神道も仏教もキリスト教もそうであろうがな、卍
(ぶつ)も十(キリスト)もすっかり助けると申してあろうがな、助かるに
は助かるだけの用意が必要ぞ。用意はよいか。このこと大切ごと、
気つけおくぞ。なりなりなりて十とひらき、二十二となるぞ、富士(普
字)晴れるぞ、大真理世に出るぞ、新しき太陽が生れるのであるぞ。
▲No.100■2021年10月27日……地底暦2021年4月16日
※▽No.100■2021年10月5日……地底暦2022年4月17日 を参照 >>190
§至恩
●至恩の巻(第6巻)(第二帖) ,
▽No.115■2021年10月28日……地底暦2022年5月10日
§五葉(※巻頭)
●五葉の巻(第7巻)(第一帖)
あの子を生んで、この子を産んで去ったのであるぞ。その中に一人
だけよくない子が出来た、その子には海の藻草や山の菜、野菜を食
べさせてくれよ、段々よい子になるぞ。
▲No.101■2021年10月28日……地底暦2021年4月17日
※▽No.101■2021年10月6日……地底暦2022年4月18日 を参照 >>190
§至恩
●至恩の巻(第6巻)(第三帖)
▽No.116■2021年10月29日……地底暦2022年5月11日
§五葉
●五葉の巻(第7巻)(第二帖)
霊界に方位はない、人民は東西南北と申してゐるなれど、今に東
の東が現れてくるぞ。霊界では光のさす方が北ぢゃ、その他の東
西南北は皆南ぢゃ、北が元ぢゃ、北(基田)よくなるぞと申してあろう
がな。鳴門(ナルト)の渦巻を渡る時はカヂをはなして、手放しで流
れに任せると渡れるのであるぞ、カヂをとると同じ処をグルグルぢ
ゃ。カヂをはなせる人民少ないのう。何んでも彼んでもカヂをとって
自分の思ふ通りに舟を進めようとするから大変が起るのぢゃ、渦に
まかせる時はまかさなければならんぞ、ナルトの仕組の一面であ
るぞ、大切ごとぞ。
▲No.102■2021年10月29日……地底暦2021年4月18日
※▽No.102■2021年10月7日……地底暦2022年4月19日 を参照 >>190
§至恩
●至恩の巻(第6巻)(第四帖) ,
▽□2021年10月30日……地底暦2022年5月12日
§青葉(ア火八の○キ)
◇[玉串として自分の肉体の清い所 供へ奉れよ、髪を切って息吹きて
祓ひて紙に包んで供へまつれよ、玉串は自分捧げるのざと申して
あろがな。お供への始めはムとせよ、ムはウざぞ、誠のキ供へるの
ざぞ、餅は三つ重ねよ、天地人一体ざと申してあろがな。御神前ば
かり清めても誠成就せんぞ、家の中 皆 御神前ぞ、九二中 皆 御神
前ざぞ、判りたか。夜寝る前に守護神の弥栄ほめよ、いたらざる自
分悔いよ、修業出来た信者の守りの神 道場に祀れよ、万霊道場に
祀れよ、役員の守りの神は本部に祀れよ、神々様 本部に祀れよ。
外国とは幽界の事ぞ、外国と手握るとは幽界と手握る事ざぞよ。
五月十二日、ひつ九のかミ。](1) / 青葉の巻(第22巻)(第二帖)
◇[ひかり教の教旨 書き知らすぞ、人民その時、所に通用する様にし
て説いて知らせよ。
教旨
天地(てんち)不二、神人合一。天(あめ)は地(つち)なり、地(つち)は
天(あめ)なり、不二(ふじ)なり、アメツチなり、神は人なり、人は神な
り、一体なり、神人なり。神、幽、現、を通じ、過、現、末、を一貫して
神と人との大和合、霊界と現界との大和合をなし、現、幽、神、一体
大和楽の光の国実現を以って教旨とせよ。
次に信者の実践のこと書き知らすぞ。
三大実践主義 弥栄実践 祓実践(まつり)実践
大宇宙の弥栄生成化育は寸時も休むことなく進められてゐるのざぞ、
弥栄が神の御意志ざぞ、神の働きざぞ、弥栄は実践ざぞ。人として
は其の刹那々々に弥栄を思ひ、弥栄を実践して行かねばならんのざ
ぞ。宇宙の総ては となってゐるのざぞ、どんな大きな世界でも、どん
な小さい世界でも、悉く中心に統一せられてゐるのざぞ。マツリせる
者を善と云ひ、それに反する者を悪と云ふのざぞ、人々のことごとマ
ツリ合はすはもとより、神、幽、現、の大和実践して行かねばならんの ,
ざぞ。天地(あめつち)の大祓ひと呼応して国の潔斎、人の潔斎、祓ひ
清めせねばならんのざぞ、与へられた使命を果たすには潔斎せねば
ならんのざぞ。かへりみる、はぢる、くゆる、おそる、さとる、の五つの
はたらきを正しく発揮して、みそぎ祓を実践せねばならんのであるぞ。
役員よきにして今の世に、よき様に説いて聞かして、先づ七七、四十
九人、三百四十三人、二千四百 一人の信者早うつくれよ、信者は光
ぞ、それが出来たら足場出来るのざぞ。産土の神様 祀りたら、信者
出来たら、国魂の神様 祀れよ、次に大国魂の神様 祀れよ、世光来
るぞ。五月十二日、ひつ九のかミ。](1) / 青葉の巻(第22巻)(第三帖)
▲No.103■2021年10月30日……地底暦2021年4月19日
※▽No.103■2021年10月8日……地底暦2022年4月20日 を参照 >>191
§至恩
●至恩の巻(第6巻)(第五帖)
▽No.117■2021年10月31日……地底暦2022年5月13日
§五葉
●五葉の巻(第7巻)(第三帖)
友つくれと申してあろうが、友と申しても人間ばかりでないぞ、山も
友ぞ、川も友ぞ、動植物も友ぞ。一人の友を得たら一つの世界を
得たことぞ、何も彼も皆友ぢゃ、友は己ぢゃ、皆己となれば己なくな
るぞ、己なくなれば永遠に生きられる、無限の己となるぞ。御神前
で拝むもよいなれど、空を拝めよ、山も川も拝めよ、野菜拝めば野
菜が、魚を拝めば魚が神となり、又、己となるのぢゃ。足らぬことな
いクワシホコチタルのウラヤスの自分となるのであるぞ。
▲No.104■2021年10月31日……地底暦2021年4月20日
※▽No.104■2021年10月9日……地底暦2022年4月21日 を参照 >>191
§至恩
●至恩の巻(第6巻)(第六帖)
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【訂正】 >>173
●この道に入れ ば ⇒ この道に入れば
【訂正】 >>215
●二千四百 一人 ⇒ 二千四百一人
◇七七、四十九人、三百四十三人、二千四百一人
※7x7、49人(7x7)、343人(49x7)、2,401人(343x7)
※7つの集団が、1つの集団に統一されることで、拡大する
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【訂正】 >>214-215 ※Θ
●宇宙の総ては となってゐるのざぞ
⇒ 宇宙の総てはΘとなってゐるのざぞ
【再訂正】 >>214-216 ※○
●二千四百 一人 ⇒ 二千四百○一人
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【訂正】 >>50
●§Θ(ヒ)(※日月(ひつ九のまキ)) ⇒ §日の出(Θのてのまキ)
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【訂正前】 >>19 ※内容のミス
◇[四十八柱、四十九柱、それぞれの血筋の者 引き寄せておいて、そ
の中から磨けた者ばかり選り抜く仕組。磨けん者 代りのミタマいく
らでもあるぞ。お出直しお出直し。世界が二分ぢゃなあ。もの見るの
は額でみなされ。ピンと来るぞ。額の判断 間違ひなし。額の目に見
の誤りなし。霊界には時間、空間は無いと申してゐるが、無いので
ないぞ。違って現はれるから無いのと同様であるぞ。あるのである
ぞ。悪の霊はミゾオチに集まり、頑張るぞ。こがねの巻は百帖ぞ。
こがね しろがね とりどりに出るのぢゃ。あわてるでないぞ。
(十二月十四日)](1) / 白銀の巻(第25巻)(第一帖) ※(9)
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【訂正後】 >>19,222 ※白銀の巻(第25巻)(第一帖)
◇[「天地のことわり書き知らすぞ。」この巻しろかねの巻。天国ぢゃ、
霊国ぢゃ、地獄ぢゃ、浄土ぢゃ、穢土ぢゃと申してゐるが、そんな
分けへだてはないのであるぞ。時、所、位に応じて色々に説き聞
かせてあるのぢゃが、時節到来したので、まことの天地のことわり
を書き知らすぞ。三千の世界の中の一つがそなた達の世界であ
るぞ。この世も亦三千に分れ、更に五千に分れてゐるぞ。このほ
う五千の山にまつれと申してあろう。今の人民の知り得る世界はそ
の中の八つであるぞ。人民のタネによっては七つしか分らんので
あるぞ。日の光を七つと思うてゐるが、八であり、九であり、十であ
るぞ。人民では六つか七つにしか分けられまいが。「イワトがひら
けると更に九、十となるぞ。【かくしてある一厘の仕組、九十の経綸、
成就した暁には何も彼も判る】」と申してあらうが。八つの世界とは、
[⌒△(※特殊文字)]、△、▽、ア、オ、ウ、エ、イであるぞ。八は固、
七は液、六は気、五はキ、四は霊の固、三は霊の液、二は霊の気、
一は霊のキ、と考へてよいのぢゃ。キとは気の気であるぞ。その他
に逆の力があるぞ。九と十であるぞ。その上に又霊の霊の個から
始まってゐるのであるが、それはムの世界、無限の世界と心得よ。 ,
霊界に入って行けば、その一部は知れるなれど、皆直ちには判ら
ないのであるぞ。判らんことは判らんと、わからねばならんと申し
てあらうがな。天、息吹けば、地、息吹くと申してあろう。このことよ
くわきまえよ。地の規則、天の規則となることあると申して知らして
あらう。この大切こと忘れるでないぞ。おもひの世界が天ぞ。にくの
世界が地ぞ。おもひは肉体と一つぞ。二つぞ。三つぞ。おもひ起っ
て肉体動くぞ。肉体動いておもひ動くこともあるぞ。生れ赤児の心
になって聞いて下されよ。何も彼も、ハッキリうつるぞ。陰と陽、右と
左、上と下、前と後、男と女と考へてゐるなれど、タカミムスヒとカミ
ムスヒと考へてゐるなれど、別のミナカヌシ、現はれるぞ。Θ、@、
9、6、[○十(※特殊文字)]、[○+(※特殊文字)]、[9○十(※特殊
文字)]、[∂○十(※特殊文字)]、卍、[卍(※左右反転)(※特殊文字)]、
十、+、よく見て下されよ。一であり、二であり、三であらうがな。三
が道と申してあろう。陰陽二元でないぞ。三元ぞ。三つであるぞ。・
なくてはならん。・にもかくれた・と現われた・とがあるぞ。このこと
先づ心得て下されよ。そなた達は父と母と二人から生れ出たのか。
さうではあるまいがな。三人から生れ出てゐること判るであらうが
な。どの世界にも人が住んでゐるのであるぞ。Θの中にΘがあり、
その中に又Θがあり、限りないのざと知らせてあらうが。そなた達
の中に又人がゐて限りないのぢゃ。このほう人民の中にゐると知
らしてあらうがな。そなた達も八人、十人の人によって生きてゐる
のぞ。又十二人でもあるぞ。守護神と申すのは心のそなた達のこ
とであるが、段々変るのであるぞ。自分と自分と和合せよと申すの
は、八人十人のそなた達が和合することぞ。それを改心と申すの
ざぞ。和合した姿を善と申すのぢゃ。今迄の宗教は肉体を悪と申し、 ,
心を善と申して、肉体をおろそかにしてゐたが、それが間違ひであ
ること合点か。一切がよいのぢゃと云ふこと合点か。地獄ないこと
合点か。悪抱き参らせよと申してあること、これで合点か。合点ぢゃ
ナア。各々の世界の人がその世界の神であるぞ。この世ではそな
た達が神であるぞ。あの世では、そなた達の心を肉体としての人が
ゐるのであるぞ。それがカミと申してゐるものぞ。あの世の人をこの
世から見ると神であるが、その上から見ると人であるぞ。あの世の
上の世では神の心を肉体として神がゐますのであって限りないの
であるぞ。裏から申せば、神様の神様は人間様ぢゃ。心の守護神
は肉体ぢゃと申してあらうがな。肉体が心を守ってゐるのであるが、
ぢゃと申して肉体が主人顔してはならんぞ。何処迄も下に従ふのぢ
ゃ。順乱すと悪となるぞ。生れ赤児ふみこえ、生れ赤児になって聞
いて下されよ。そなた達の本尊は八枚十枚の衣着ているのぢゃ。死
と云ふことは、その衣、上からぬぐことぢゃ。ぬぐと中から出て来て
又八枚十枚の衣つけるやうになってゐるのぢゃ。判るやうに申して
ゐるのぢゃぞ。取違ひせんやうにせよ。天から気が地に降って、も
のが生命し、その地の生命の気が又天に反影するのであるが、ま
だまだ地には凸凹あるから、気が天にかへらずに横にそれること
あるぞ。その横の気の世界を幽界と申すのぢゃ。幽界は地で曲げ
られた気のつくり出したところぢゃ。地獄でないぞ。
(十二月十四日)](1) / 白銀の巻(第25巻)(第一帖) ※(9)
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