ポエトリーです
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【訂正】 >>214-215 ※Θ
●宇宙の総ては となってゐるのざぞ
⇒ 宇宙の総てはΘとなってゐるのざぞ
【再訂正】 >>214-216 ※○
●二千四百 一人 ⇒ 二千四百○一人
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【訂正】 >>50
●§Θ(ヒ)(※日月(ひつ九のまキ)) ⇒ §日の出(Θのてのまキ)
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【訂正前】 >>19 ※内容のミス
◇[四十八柱、四十九柱、それぞれの血筋の者 引き寄せておいて、そ
の中から磨けた者ばかり選り抜く仕組。磨けん者 代りのミタマいく
らでもあるぞ。お出直しお出直し。世界が二分ぢゃなあ。もの見るの
は額でみなされ。ピンと来るぞ。額の判断 間違ひなし。額の目に見
の誤りなし。霊界には時間、空間は無いと申してゐるが、無いので
ないぞ。違って現はれるから無いのと同様であるぞ。あるのである
ぞ。悪の霊はミゾオチに集まり、頑張るぞ。こがねの巻は百帖ぞ。
こがね しろがね とりどりに出るのぢゃ。あわてるでないぞ。
(十二月十四日)](1) / 白銀の巻(第25巻)(第一帖) ※(9)
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【訂正後】 >>19,222 ※白銀の巻(第25巻)(第一帖)
◇[「天地のことわり書き知らすぞ。」この巻しろかねの巻。天国ぢゃ、
霊国ぢゃ、地獄ぢゃ、浄土ぢゃ、穢土ぢゃと申してゐるが、そんな
分けへだてはないのであるぞ。時、所、位に応じて色々に説き聞
かせてあるのぢゃが、時節到来したので、まことの天地のことわり
を書き知らすぞ。三千の世界の中の一つがそなた達の世界であ
るぞ。この世も亦三千に分れ、更に五千に分れてゐるぞ。このほ
う五千の山にまつれと申してあろう。今の人民の知り得る世界はそ
の中の八つであるぞ。人民のタネによっては七つしか分らんので
あるぞ。日の光を七つと思うてゐるが、八であり、九であり、十であ
るぞ。人民では六つか七つにしか分けられまいが。「イワトがひら
けると更に九、十となるぞ。【かくしてある一厘の仕組、九十の経綸、
成就した暁には何も彼も判る】」と申してあらうが。八つの世界とは、
[⌒△(※特殊文字)]、△、▽、ア、オ、ウ、エ、イであるぞ。八は固、
七は液、六は気、五はキ、四は霊の固、三は霊の液、二は霊の気、
一は霊のキ、と考へてよいのぢゃ。キとは気の気であるぞ。その他
に逆の力があるぞ。九と十であるぞ。その上に又霊の霊の個から
始まってゐるのであるが、それはムの世界、無限の世界と心得よ。 ,
霊界に入って行けば、その一部は知れるなれど、皆直ちには判ら
ないのであるぞ。判らんことは判らんと、わからねばならんと申し
てあらうがな。天、息吹けば、地、息吹くと申してあろう。このことよ
くわきまえよ。地の規則、天の規則となることあると申して知らして
あらう。この大切こと忘れるでないぞ。おもひの世界が天ぞ。にくの
世界が地ぞ。おもひは肉体と一つぞ。二つぞ。三つぞ。おもひ起っ
て肉体動くぞ。肉体動いておもひ動くこともあるぞ。生れ赤児の心
になって聞いて下されよ。何も彼も、ハッキリうつるぞ。陰と陽、右と
左、上と下、前と後、男と女と考へてゐるなれど、タカミムスヒとカミ
ムスヒと考へてゐるなれど、別のミナカヌシ、現はれるぞ。Θ、@、
9、6、[○十(※特殊文字)]、[○+(※特殊文字)]、[9○十(※特殊
文字)]、[∂○十(※特殊文字)]、卍、[卍(※左右反転)(※特殊文字)]、
十、+、よく見て下されよ。一であり、二であり、三であらうがな。三
が道と申してあろう。陰陽二元でないぞ。三元ぞ。三つであるぞ。・
なくてはならん。・にもかくれた・と現われた・とがあるぞ。このこと
先づ心得て下されよ。そなた達は父と母と二人から生れ出たのか。
さうではあるまいがな。三人から生れ出てゐること判るであらうが
な。どの世界にも人が住んでゐるのであるぞ。Θの中にΘがあり、
その中に又Θがあり、限りないのざと知らせてあらうが。そなた達
の中に又人がゐて限りないのぢゃ。このほう人民の中にゐると知
らしてあらうがな。そなた達も八人、十人の人によって生きてゐる
のぞ。又十二人でもあるぞ。守護神と申すのは心のそなた達のこ
とであるが、段々変るのであるぞ。自分と自分と和合せよと申すの
は、八人十人のそなた達が和合することぞ。それを改心と申すの
ざぞ。和合した姿を善と申すのぢゃ。今迄の宗教は肉体を悪と申し、 ,
心を善と申して、肉体をおろそかにしてゐたが、それが間違ひであ
ること合点か。一切がよいのぢゃと云ふこと合点か。地獄ないこと
合点か。悪抱き参らせよと申してあること、これで合点か。合点ぢゃ
ナア。各々の世界の人がその世界の神であるぞ。この世ではそな
た達が神であるぞ。あの世では、そなた達の心を肉体としての人が
ゐるのであるぞ。それがカミと申してゐるものぞ。あの世の人をこの
世から見ると神であるが、その上から見ると人であるぞ。あの世の
上の世では神の心を肉体として神がゐますのであって限りないの
であるぞ。裏から申せば、神様の神様は人間様ぢゃ。心の守護神
は肉体ぢゃと申してあらうがな。肉体が心を守ってゐるのであるが、
ぢゃと申して肉体が主人顔してはならんぞ。何処迄も下に従ふのぢ
ゃ。順乱すと悪となるぞ。生れ赤児ふみこえ、生れ赤児になって聞
いて下されよ。そなた達の本尊は八枚十枚の衣着ているのぢゃ。死
と云ふことは、その衣、上からぬぐことぢゃ。ぬぐと中から出て来て
又八枚十枚の衣つけるやうになってゐるのぢゃ。判るやうに申して
ゐるのぢゃぞ。取違ひせんやうにせよ。天から気が地に降って、も
のが生命し、その地の生命の気が又天に反影するのであるが、ま
だまだ地には凸凹あるから、気が天にかへらずに横にそれること
あるぞ。その横の気の世界を幽界と申すのぢゃ。幽界は地で曲げ
られた気のつくり出したところぢゃ。地獄でないぞ。
(十二月十四日)](1) / 白銀の巻(第25巻)(第一帖) ※(9)
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