それにしても浜田ギャグの「エディ・マーフィ」(黒塗り顔)を非難した
自称知識人どもは、ひでえな。
知性の劣化も劣化。これほどひどく知性がおちぶれているとは思わなかった。

浜田は「黒人」を真似たのではない。「エディーマーフィー」を演じたのだ。
「エディーマーフィー」のかっこよさのひとつとして黒人という属性がある。
もし顔の黒くない「エディーマーフィー」を浜田が演じたら、かえって滑稽だろ。
黒人差別(という差別意識)が「表現の自由」をおびただしく侵すことになる。
そんなふうに知によって三重に巧妙になった差別的な世の中は
決してまともな世の中ではない。

浜田ら制作スタッフに「黒人」を差別する意図がなかったことはわかるが、
それではすまないという。
ポリティカル・コレクトネスがー(笑)と、判で押したようにオウム返しに
返答する、差別糾弾をしたい人たちは、うずうずして糾弾できるチャンスを待っているのだ。
たとえば茶髪の津田大介とかいう御仁は、自身が白人をかっこよく思い、
黒人を蔑視していることが自覚できていない。じぶんは金髪に染めて白人コンプレックの裏返しである黒人蔑視をしているくせに、
だれかが黒人を表現するために化粧すると差別だと叫ぶ。「ポリティカル・コレクトネスがー」と。笑

それでは今後、舞台、演劇、コント、ギャグでは日本人はだれも黒人を演じられないことになる。
表現行為においてコントやギャグを行うお笑い芸人をこれら知的なコレクトネスな方々は上から目線で小馬鹿にしていることがまざまざと伺える。

こんな金髪のバカが大学教授というのだから、まともな学生が出て来るわけがない。