【俳句】プレバトのお題で一句詠みましょう 10
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そういう捉え方で良いと思いますよ。
名詞を修飾する言葉によって名詞もショートムービーのようになるかもしれませんね。
走る自転車 のように。
>>173
文語も取り入れながら作ったほうが上達しますよ。
間違えたらその都度直せば良いのですから。 間違えてっかどうかも分かんねえんだよ、こいつら。
あと、文法()的に合ってても、それとは別にやっぱり小慣れてない感じが拭えない。そんな句を人前に発表すんじゃねえよっつー話。自分じゃ分かってねえんだろうけど。
だから頼むからもうちょっと句集とか歌集とか読んで学んでくれ。
句の出来自体いつまで経っても酷すぎる。 夏井いつき先生は子ども達に俳句の楽しさを伝えるのをライフワークとしていますから・・・
下手でも慣れていなくても楽しむことからでいいという考え方かもしれませんね。
このスレが夏井先生のライフワークの一助となれば嬉しいと個人的には思いますが
掲示板ですし色々な考え方があることも理解できます。
自転車の家出夏草生ふる道 まあ、何かしら制限やルールがあるから、たくさんの人が、
評価しあい、ああだ、こうだ、言い合える。
何かしら、というのがキモで、きっちりしたルールならば、
誰かルールに精通したひとが、ものを言うだけになる。
聖と俗が絡み合って、どんどん変化していけるのが、俳句の
いいところだと私は思う。
その中で、夏井先生が言うように、いい俳句は
”スッとする””血液が浄化されたような気になる”
倉阪 鬼一郎氏がいうような、鍼灸のハリのようなもの
ツボがあえば、驚くような変化が生まれる。
というのが、少なくとも現在の私の自他作問わず
俳句の評価軸だ。 訂正
聖と俗 → 雅と俗
雅、これがいい、これはこういうものだ、というものに近づこうと表現する。
俗、そのようなものでは、己の表現したいものは間に合わぬ、と表現する。
小西甚一著「俳句の世界」講談社学術文庫p23
著者の雅と俗の考えを、自分なりに解釈した。 自転車の家出夏草生ふる道
”自転車の家出”がわかりにくい。(盗まれた?)
居たたまれず自転車駆った夏の朝
ここは上下関係も、師弟関係なく
(軽い長幼の序ぐらいはあっていいか)
さらに、上手い下手もない。
(だって、上手い俳句って言われてもわからないもの)
(鑑定団のお宝と一緒かね。)
というリアル社会ではありえない前提で、
自分なら、こうするけど、どう?と言っているまでです。 >>191
どうもありがとうございます。
また新緑か… 万緑の気を浴び行くや義経公
杉落ち葉降り積む路の逃避行
新緑や牛若丸の天狗飛び
摩天楼より新緑がパセリほど 鷹羽狩行
新緑の香に新緑の風を待つ 稲畑汀子
新緑の闇よりヨーヨー引き戻す 浦川聡子
緑さす薄粥を花のごと余す小林康治
遠国の船が水吐く緑夜かな 斎藤梅子
子の皿に塩ふる音もみどりの夜 飯田龍太 >>196
ここは
尺八の巫女境内に緑噴く
と私ならしたい 初雪のうどんは白い力もち
春夏秋冬東洋水産揃い踏み >>185
居たたまれずが説明
なっちゃんこれ何回言ってるよ
いい加減覚えようぜ >>185
自分が老害だから長幼の序は採用したいけど、
作品はゴミしか作れないし審美眼もないから良し悪しという基準は採用したくない、
という魂胆が露骨。気持ちわっる…最低な人間じゃん。もはや人間じゃないじゃん >>206
元句の作者が”家出”で表したかったものを心情に絞って表現した。
季語が主役という俳句感からみれば、確かに散文調だね。
季語 + 何か で、そりゃあ、居たたまれないですね。
というフレーズを捻り出せれば、一句になるかもね。 >>207
他人の考えを、感じ取ろうとする努力はいいが、幼いな。
他の序列と違って、歳をとるのは一緒だからね。
そして、年齢によって物の感じ方は違う。そこは互いに敬意を持たなないと。 >>209
荒らしにツッコミを入れるあなたも荒らしと同様ですよ
そういう反応が楽しくてやってるわけですから >>191
原爆忌の句って
実体験じゃない想像だろ
こんな薄い句が一位って
夏井先生大丈夫か >>211
サヨクのゴーストライター作だから
普天間に、と一緒 >>209
しねよ。
年齢によって変わるわけじゃねえよ。 >>209
>>214読んで>>210の意味分った?
年配者は荒らしに対してマジレスしちゃうんだよね 5月17日
お題「公園の自転車」
2位:65点
ソーダ水母想う忙しい日々
母となり母想う日々ソーダ水
4位:52点
夕立に急ぐペダルに笑い声
夕立に急ぐペダルと笑い声
3位:60点
肩寄せて自転車サミット夏木立
青空の自転車サミット夏木立
ポイント
;背景を足して鮮やかに
5位:30点
夏休み自転車乗り捨てレベル上げ
自転車よりゲーム夏休みの夢中:これで31点
1位:72点
原爆忌あいつと青く飛んだ日々
添削なし
特待生:現状維持
迅雷や自転車チェーン黒き爪
迅雷やチェーンを直す爪黒し
特待生2級:現状位置
前カゴでチワワ吠え背なで子の泣く暑さかな
前カゴでチワワ背なでこの泣く暑さ
参考:高浜虚子
凡そ天下に去来程の小さき墓に参りけり
次回お題「新緑の高尾山」 >>216
毎回どうもありがとうございます。
ソーダ水という季語を見るとマンモスの滅んだ理由を考えてしまう。
フジモンの句はインパクトがありました。 次週のお題の中で私のここまでの好きな句
尺八の巫女境内を噴く緑
陰膳の椀こそあどにさす緑
新緑や常にあなたと履くシューズ
あくまで私の好みです
先生方解説お願いいたします こいつら、下手したら「けり」だの「たり」だのだけじゃなく、「や」だの「かな」だのまで適当に字数合わせのために使ってっかんな。
そういう言葉遣いでなんとなく風雅気取っていい気になってんだよ。独りよがりの俳人コスプレ大会。 >>219先生ではないので感想に近いものですが。
尺八の巫女境内を噴く緑
真ん中に切れ。良い句だと思います。緑だけでは季語にならないですが吹く緑は夏の気分があると思います。厳密に季語にこだわる方ならとらないかもしれません。
陰膳の椀こそあどにさす緑
こそあどが分かりませんでした。椀こそという強意の言葉にも読めるので読む人が混乱します。
新緑や常にあなたと履くシューズ
目の前に二つのシューズがあり、ジョギングなどでいつもあなたと履くものであるという意味でしょうか。 常にといった説明は冗長になりがち。中7さえ直せば形も綺麗で良い句だと思います。 強さ かな>や>けり
この3つの切れ字は一つの句に一つまで。
や 上5の最後か中7の最後
かな、けり 句の最後
最初はこれだけ覚えたら十分。 切れの考え方
切れは場面転換。17音の中で場面を切り替えることで大きな世界になります。
例:菜の花や月は東に日は西に
上の句は菜の花+や(切れ字)の後は全く関係ないものを持ってきて
目の前の菜の花と同時に月と太陽のある天を詠むことで
途方もなく大きな世界に仕立てました。
改悪で申し訳ないですが上5を入れ替え
青嵐/月は東に日は西に
とした場合、切れ字の「や」がなくても上5で切れます。
切れ字がなくても切れがあることの理解ができると俳句作りが楽になります。
上の改悪句の場合、大きく強い風に大きな世界を取り合わせる心地悪さ、
漢字が続く見た目の悪さ、色彩の華やかさを失うなど色々欠点がありますが
やという切れ字、詠嘆がないことで安定感や一呼吸置く気持ち良さがなくなります。
そういう感覚が沁み込むと一気に俳句が上達するので有名句は読んで損がないですよ。 無理だよ。こいつらの大多数は句集なんか読もうとしたことすらないから。
「こそあど」って何?
「境内を噴く緑」て…え…?本気? >>229
そういうテスト的な覚え方どうかと思うわ。硬直化する。習い事じゃねえんだよ。老害はすぐに権威やルール、支配を求めたがるけど。
たくさんの良い歌を吸収してれば自然と節度のある自然な使い方が出来るようになるし、
またそこから守、破、離、と進むことも出来る。
お前の言うことがそもそも適切とはとても思えないしねw >>231
丁寧な解説ありがとうございます。
”こそあど”、日本語の指示語を指す言葉だと思います。
(Wiki参照)
おそらく、”そこかしこ””あちらこちら”の意味で使われたのでは?
隠膳の椀や緑のそこかしこ 申し訳ありません。
歳時記に緑は季語とありました。訂正いたします。
>>233
自由に十七音で読みなさいと教えるより、基本を押さえてから学ぶと上達が早いです。名句を退屈で窮屈に感じる人も切れが分かると見方が変わります。
どんな学びもスポーツもルールを知り基本の型を反復しなければ個性を発揮するまでにはならないものです。基本を積み重ねた人は後で飛躍します。
賢い人は権威におもねりませんが、それだけでなく無駄に反発せず何でも前向きに捉え面白がるもの。
否定だけでは自身が成長しないのです。 >>234
なるほど。そうかもしれませんね。
こそあど言葉というように様々な指示語と捉えてしまうので添削句のほうが良いと思いました。
家族は夏の生い茂る緑を見るたびに旅人を思い無事を祈り、膳を並べるのですね。
緑があちらこちらにあるという意味であれば新緑やと季語に託しても良いように思いました。
陰膳と緑のつかず離れずが良いと思います。 「無駄に反発」
何をもって「無駄」とするかお前のさじ加減
「何でも前向きに捉え面白がる」
「前向きに」ってお前を肯定するようにってことかな?
こんな官僚崩れみたいな詭弁をナチュラルに出して来てるんだったら頭悪い上に卑怯者なんだから死になよ。わざと出して来てるんだったらやっぱり頭悪いし卑怯者なんだから死になよ。
誤りや悪は、否定しちゃいけない対象ですか?
面白がりはするけど。
自由に十七音読め、なんて恐ろしいこと言ってねえよ。
学びながら読め、読みながら学べ、学びながら詠め、と。
つまりはただそれだけを言ってんだけど?読解力ないの?
基本なんかをテスト式に覚えさせんのやめろっつってんだよ。読みながら勝手に自ずと骨身に染みてくるんだよ。
ボケが。
てめえが指南した人間でもてめえでもいいから、そのやり方で良い詠みが出来るようになった人間見てみてえわ。
言葉遣い荒いから、ここを全体的に非難してるから、って頭から俺の書き込む内容を敵の言葉であるかのように見てる奴が大半だろうし、
何言っても無駄だろうな。 >>237
「無駄に反発」と題を掲げておいて、
以下、無駄に反発している文章を書き連ねているとは!
秀逸です!
さらに、締めでやはり無駄だったとつぶやいて去る。
完璧ですな。
また来てね。 二十歳の頃、巫女をしておりました。
龍笛(りゅうてき)=横笛、篳篥(ひちりき)、笙のうち一つを選んで習うようになっていました。 >>235
基本というと、押しつけがましく感じてしまうものですが、
本当は真髄なんだと思います。
真髄といってもわからないから、基本として学ぶことは大切だと思います。
(有名句を書き写したり、読んだしたり)
(とって付けたように、切れ字や文語を使って、指摘を受けたり)
235さんのように、用例や実例をもって示してくれることは励みになります。 >>241
龍笛(りゅうてき)=横笛、篳篥(ひちりき)、笙(しょう)を
尺八とは全然違うものですか?
素人だと、竹に穴をあけて吹けばざっくり尺八と考えてしまうのですが。 >>237さんを怒らせたいわけではなかったのですが、
俳句の基本の切れ字や型は、とても簡単なのでこれから俳句をはじめるという人に切れだけ教えてあげるとぐんぐん伸びます。
季語や文法も大切で面白いですが、それは後でも構わないと思います。
プレバトを見ていると、切れのルールを知るだけで上手くなりそうな人がいるように思います。
夏井先生は擬人化や詩、ファンタジーをためらわず高評価をつけていくのが魅力だと思います。
あの姿勢こそ権威への挑戦と感心します。 >>229
かな<や<けり
ですね。全て間違って不等号をつけていました。たびたび申し訳ありません。 >>243
大きさも音色も違いますね。
尺八というと虚無僧が吹いているイメージです。 >>244
怒ってないと思いますよ。むしろ面白いw
型(五七五)の後、切れ字を覚える、賛成です。
やはり感動を詠みたいので、これで感動、詠嘆を表せるんですよ、という切れ字は
とっつきやすい便利なものなのかもしれません。いずれ切れ字がなくても、同じ
ように感動や詠嘆を表せるようになりたいと思います。
(つまり自由自在に使えるように) >>246
そうすると、巫女に尺八はちょっと違うのかもしれませんね。
尺八の巫女境内を噴く緑
尺八を吹く、と緑が噴くをかけているのだと思います。
そして音色を色彩名で表すのも、アイデアかと。
新緑の巫女龍笛の吹く碧 やはり縦笛より横笛のほうが巫女には合いそうですね。
黒く長い髪、緋の袴、新緑と色の取り合わせも美しいと思います。 大学の時友人が巫女のバイトをして尺八吹いてましたよ >>253
軽くググったところ、
龍笛、篳篥、笙のうち、篳篥は縦笛のようです。
(尺八との違いはリードの有無?)
雅楽では尺八は使わないとのことなので、
篳篥だったかもです。
(Wikiによれば、江戸時代、尺八は虚無僧限定の楽器、とういうより法具だったそうな) 俺、尺八も吹くけど、雅楽なら尺八は吹かねえよ。馬鹿。
儀式とかとは別に巫女が何か尺八を吹いてるだけだと思ってスルーしてたけど、
なんの知識もなくなんとなく尺八吹かせたのか。句の中で。
ふざけんなよ、てめえら。
何もかも不勉強だ。死んじまえ。マジで。
憤りを覚えてるぞ。もはや。
侮辱してんだよ、詩を。それを自覚して深く恥じろ。悔め。しね。 あまりにも酷すぎて、昼の前言ほぼ撤回する勢いで出戻ってきちっただろ。
自分でも笑えてきたわ。面白い。 作者は誰もが楽で拭くとは言ってないだろ
まったくこいつらクズだな >>247
>>>244
>怒ってないと思いますよ。むしろ面白いw
>型(五七五)の後、切れ字を覚える、賛成です。
>やはり感動を詠みたいので、これで感動、詠嘆を表せるんですよ、という切れ字は
>とっつきやすい便利なものなのかもしれません。いずれ切れ字がなくても、同じ
>ように感動や詠嘆を表せるようになりたいと思います。
>(つまり自由自在に使えるように)
記号を置くように言葉を置くな。
実感としてその言葉がふさわしく感じられるようになってから使え。
そして、そんな風に感じられるようになるのにさほど時間は必要ないんだから。
良い句や歌を、なんなら良い鑑賞文と共にしっかり味わうだけで、通常の知能があればだいぶ染み込んでくっから。
一日でいいよ。やれよ。本持ってきて、読めよ。吸収しろよ。それで全然変わってくるよ。
それをどうしてもしたくないってんなら、
学校でもそれ以外でもロクな教養も身につけらんねえまま無駄に年重ねたてめえらでも口語なら記号のように不慣れなものじゃないんだろうから、口語でやれ。
とってつけたような文語はすぐ分かんだよ。目を覆いたくなるんだよ。馬鹿な老人には。
何回同じようなこと言わせんだ。つい先日もほぼ同じこと書いてるわ。 新緑や常にあなたと履くシューズ
口語は文語より意味がその時の状況に左右され、その結果文字にすると
意味が取りにくくなるのでしょうね。
(あくまで文語と比べての話ですが)
でも、素直は口語表現は、逆に伝わりやすく、いいものである、と私は思います。
新緑の此処であなたとシューズ履く >>262
君はいいから
とりあえずうざいとお師匠様に連絡しましょうか? 「あなたとシューズ履く」はないわー…引くわ
間抜け過ぎ
「此処」って漢字にしたのも、なんとなくだろ。そのほうがしかつめらしい雰囲気出て格式高くなるようなつもりでいるんだろ?
そういう虚栄心を、句の中の表記の相応しさの吟味より優先してんだろ?
そういう薄っぺらい卑しさがそこかしこに出てんだよ。
人間が。
出てんの。 >>262
あちゃ、しばらくさようならって書いてたのに。 あなたとシューズ履くw
下手過ぎw 下手過ぎw
やっぱりこいつ口だけwww
あなたとシューズ履くw
下手過ぎw 下手過ぎw
やっぱりこいつ口だけwww
あなたとシューズ履くw
下手過ぎw 下手過ぎw
やっぱりこいつ口だけwww >>265
まあ、崩しているんだから、伝統俳句的には劣化でしょうね。w >>268
私もその句が頭にありました。
鷹俳句会ですね。 >>271
期待してないけど、
じゃあ、どういう問題? >>272
鷹俳句会という句会の中では、いい句だったの?
自分は”常に”という言葉は映像化しずらいと思うのだけど。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています