>>642,>>643
朝顔なんて小学生いったなら誰でも一度は育てているだろ

この句の生活井戸の周りに何で朝顔を育てているんだよ、邪魔になって仕方がないだろ
また、朝顔のつるは作為がなければつるべに絡むこと何てないだろう
生活井戸の根拠はわざわざ”もらい水”ということから推測できる

江戸中期の女優俳人が作った句を明治の俳人がその人の手記でもなければ推測に過ぎず
何とでも解釈可能だろうよ、”や”で切るより”に”の方がより分り易いよね
もともとは”に”だったんだろ

この千代女という女流俳人が尼さんになった後にこの句を作ったとしたら生活の臭いがしないんだね
その場合、井戸に水を汲みに行くとは思えない、身の回りを世話する人がすることでしょう
そこでこんな推測が
 縁側から朝顔の鉢を通して井戸が見える、伸びた朝顔のつるが井戸のつるべと重なり想像力で
 そのような句ができた、とするのがしっくりする

お前はまたこの内容に対し罵詈雑言垂れるだろうが、勝手に吼えとけ