【ベイビー】BUMP OF CHICKEN 17【アイラブユーだぜ】
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>>267
「でこぼこ丸い地球の上」はストレートに苦難が多いのに同じ所ばかり転がってしまう(球体はどこまで行っても延々同じ周囲を回ってるから)って意味でピエロとかは考えすぎだと思う GOはどっちかというとstage of the groundに近い
fireflyは「自分は(他人から見て)特別な才能や魅力のある存在ではない」という現実を見て諦めた傷が輝く歌だが
GOやstage of the groundはその傷を飼いならしてる人に「たった一つしかないように見える太陽や圧倒されるような星空も君の人生においては全て君のものだ」って歌 >>269>>270>>271ありがとう
なるほどなあ。ピエロ解釈はやっぱりないか笑
そうするとなんで唐突にサーカスを出したのかが凄い気になるんだよね
主人公冒頭で泣いてるし、ピエロの涙マークの事にこじつけれなくもないし
妄想は膨らむばかり笑 GOは1番がstage of the ground
迷いなが間違えながら選んだ未来
2番は これからは 自分で選ばない流れに身を任せてみる未来を選んだ曲だと思ってるけど
でこぼこ丸い地球は 日常のこと
よくわかんないサーカスは非日常なことかなぁ >>272
「ステージ」の上で行われる物を考えるとサーカスの他に演劇やトークショー、マジックショー等が浮かぶけど
この中で一番人間らしいモチーフはサーカスだと思う
演劇は「作り物」だし、マジックショーやトークショーはあまりに知的、技術的な印象が強いから人間味がやや薄い
サーカスはもともと見世物小屋、他に行く場所がない人々の集まりみたいなとこがあるから、華やかさとは真逆の悲しみもある人間らしいステージのイメージとしてはぴったり
あと注目すべきはサーカスが「来た」っていう歌詞
このサーカスは移動サーカス←ここがポイント
GOの主人公は自分から光ある場所に赴く度胸はまだないが
向こうからやってきた輝かしい物に向かって走り出そうとする勇気はある これからは自分で選ばないけど とても素晴らしい日になるって信じてる
自分を信じる曲 >>268さんもありがとうぅ
fireflyは確かに気持ちは諦めてるけど、それでも
「色々と難しくて続ける事以外で生きている事確かめられない」
って行動は止めてないから、諦めた地点からまだ進んではいるよね
GOの主人公も気持ちは諦めてるけど、身体は進んでるというか
そういう観点で行けばほぼ同じ性質の曲に思えるから、>>267の解釈に辿り着きました
違い曲同士で考察混ぜるとややこしくなりますね、、すません いやいや自分で選ぶだろ
藤原が自分で選ばないとか言わないだろ
自覚がなかっただけで自分の未来は自分で選んだものだし
それに気づいた今日はとても素晴らしい日になるよって曲だろう >>276
大前提としてfireflyは本人視点の歌
GOは第三者からの励ましの歌だから
そこが決定的に違うだけで同じ内容なのはあながち間違ってないと思う >>274
ものすごく腑に落ちました・・・なんかそれで全部まとまりますね
サーカスは華やかなものとしか捉えてなかったのが原因でした。ありがとうございます
>>276
GOの主人公気持ち諦めてるって書いたけど全然諦めてないですね訂正します; >>277
流れに身を任せる事を選ぶ
だから自分で身を任せる事を選んでるよね まわりの人を信じてるだから身を任せる
だからGOは信じる曲 深い森に迷い混んだ化け猫は人間の言葉を知らない。その森は存在するようで、存在しない世界。地球のどこかにあるようで、ないような。時々、その深い森に音になって光が差し込んでくる。
生きているよここにいるよって、命の鼓動の歌。化け猫はその世界をみてみたくなるのだが、臆病な化け猫は森から出れない。だから風に頼んで言葉を伝えてもらう。
その生きた証しはその人達みんなの誉れなんだよって。 GOは「思いをひとりにしないように」ってフレーズがいい
したかったけど結局しなかった、という何気ない出来事は無邪気に先走った心を置き去りにする悲しい行為だったことに気づけた
BUMPに心と体を別物として描いた曲は多いけど、これが一番心という存在の切なさを表している気がする なるほどねー 心と体かぁ
私は心と心と解釈してるなぁ
ただ話しがしたいよは そのまま心と体が疲れてると思ってるけど HAPPYの
消えない悲しみがあるなら 生き続ける意味だってあるだろう
って
消えない悲しみがあるなら 消えない喜びだってあるだろう
ってことなんかね?
悲しみは消えるというなら 喜びだってそういうものだろう
と対比すると >>287
消えない悲しみがある=あなたが存在しているという証拠がそこにある
だから生き続ける意味があるってことだと思う >>287
そこと対になる詞なのに、
消えない悲しみがあるなら 喜びだってそういうものだろう
としなかったのは、それも含むけどきっともっと大きい意味だからだよね
たとえば“消えない悲しみ”が何かを失ったことに起因するなら、それだけの大事な空っぽを抱えて生きていく意味とか
>>288もあると思うし というか、消えない悲しみがあるなら喜びだってそういうものだろうと思える人はそもそも悩まないからな 単に事実として喜びは消える
悲しみは消えないものもある
少なくとも藤原や藤原の書く詞に共感するような人はそうだろう >>291
消えない喜びもあるんじゃない?
rayやmorning glowにあるように、別れは出会ったこととつながってる
お別れしても出会った事実はなくならない
それと同じで、消えないほど大きい悲しみの前にはきっとそれだけ大きな喜びがあったはずで、
悲しみにかき消されたように見えてもその喜びがあった事実は消えてはいないと思う >>292
それはわかるけど過去に喜びがあったという事実だけで生きていけるほど人間は強くない
さらに言うと悲しみの前に喜びがあるとは限らないからな 基本的にHAPPYが響くらいメンタル的に落ち込んでる人にとっては「喜び」は禁句
過去に喜びもあっただろうとかこれから喜びもあるよと言うのは鬱病の人に頑張れと言ってるのと同じ
悲しみは消えると言うなら喜びだってそういうものだろう
↑これは悲しみや喜びが消えるかどうかってこと自体が言いたいわけじゃなくて
「悲しみもいつか消えるから大丈夫だよ!」って無責任な励ましをする人がいるから
たった今悲しみしか感じられずにいる人に「それを言うなら喜びだって消えるよな」って共感してるんだと思う
最後に「消えない悲しみがあるなら生き続ける意味だってあるだろう」と喜びに触れなかったのも
たった今悲しみの中にいる人に喜びではなく悲しみで勇気を与えようとしたから 他人の無責任な励ましを対にして逆説的に解いたのが
「消えない悲しみがあるなら生き続ける意味だってあるだろう」と思った
そうでないと自分はこの最後の詩の意味が掴めないな >>295
逆説的に解いたっていうか
消えない悲しみがあるなら生き続ける意味だってあるだろうは>>288で
そこに「僕と一緒に」歌おうと言ったりHAPPY BIRTHDAYととにかく生きてることを賛美することで
喜びとか悲しみとかよりもただただ味方がいるからと伝えてるんだと思う まとめると悲しみがいつか消えるなんて言えないし喜びもあるよとも言えないけど
悲しみがあるということは「君」は確かに生きているってことで
それは藤原にとってHAPPY(「喜び」ではなく「幸せ」)なことだから生きて欲しいって歌だと思う >>288とは思わないかな
色んな解釈があっていいだろうしね
いい曲であることに変わりはない Smileや望遠のマーチの歌詞でよくわかるけど藤原は良いことでも悪いことでも保証のないことで人を説得はしないよね
HAPPYは悲しみが消えないと思い込んでる人に寄り添うために優しい言葉の雨は乾く〜とそれこそ喜びが去る一場面を書いてる 個人的には藤原自身は>>292みたいな考え方も出来る強さのある人だと思う
最近なら記念撮影なんかまさにその強さ前向きさが現れてる
けどとてもそんな風に考えられないくらい弱ってる人がいるのもわかっていてそういう人には>>296みたいに語りかける
>>296みたいな歌詞に励まされたBUMPファンがだんだん>>292みたいな考え方になっていく
BUMPってそういう力がある HAPPYが1番の名曲やと思うな
歌詞とかすげえもん >>292は単に過去に喜びがあったからとか、これから喜びがあるから生きていけるってことが言いたいんじゃないんだ
悲しみと喜びは表裏一体だと思うんだ
消えないほどの悲しみって自分は喪失のイメージ
無くした後に残された 愛しい空っぽを抱きしめて って歌詞もあるし
それだけの悲しみがあるってことはそれだけ大きな存在があったってこと、それと出会えたこととかともにいられたことが消えない喜び
消えない悲しみがあるってことこそが消えない喜びがある証
だから生き続ける意味があると言いたかった
これでもまだうまく表現できてないかも、難しいな 生き続ける意味もあるだろう
いつまでも消えない悲しみを抱えてる人
そういう人ならばいつかきっとまた喜びや幸せにも出会える可能性があるって意味は含まれてないの? >>304
そこまでは言ってないと思う
どうせいつか終わる旅と言ってるし
いつかきっと喜びに出会えるよとは言えない >>303
>喜びと悲しみは表裏一体
その場合もあるしそうじゃない場合もある
例えば家庭に恵まれない人が喜びを感じられないまま失った子供時代とか
それでも失くしたという事実はあってそれ自体が愛しい
喜びにしろ悲しみにしろ感じてる間は大丈夫
本当にやばいのは何も感じられない時だから >>306
可能性だよ
出会える可能性もあるって話だよ
断言はしてない
藤原って一筋の希望を歌詞にするよね
喜びには出会えないは絶望過ぎる
でも喜びに出会えるとははっきり断言出来ない
でももしかしたら…
だからこその「生き続ける意味もあるだろう」なんじゃないの? 藤原は出会える可能性があるとも言ってないしないとも言ってない
喜びにもしかしたら会えるかもしれない…と思うのはHAPPYを聴いたリスナーが自分で見出した希望
藤原はそれを何より重視してる >>309
だからそれが「生き続ける意味もあるだろう」って歌詞に全て含まれてるんじゃないの? >>310
藤原が示したのは「喜びに出会える可能性もある」という希望じゃなくて
「生き続ける意味だってある」という無条件の全肯定
「喜び」ではなく「存在」の保証
それをリスナーが喜びに出会えたと感じる >>311
それじゃなぜ消えない悲しみを対比してるの?
存在だけなら悲しみとか言わなくて良くない >>312
今喜びがなくて悲しみだけでもその悲しみも立派な生きてる証だってことでは?
喜びを持ち出したのは対比じゃなくて強調だろう >>313
対比じゃない?
その前も恐怖に対して勇気とかこの歌詞ってずっと対比させてない? >>314
恐怖と勇気が対比って…?
続きを選ぶ恐怖の途中続きがくれる勇気にも出会う
これ対比か? >>315
対比じゃないの?
二つの性質の違うものを並べたら? >>316
対比っていうのは例えば
朝の月は白くて
夜の月は黄色い、みたいなもののことで
HAPPYのは例えば
自然は敵にもなるし味方にもなるっていうようなことだぞ
そこで敵と味方を対比しても意味ないだろ 自然は敵にもなる 自然は味方にもなる
これ対比でしょ? なぜ敵なのか(理由)
なぜ味方なのか(理由)
これ対比じゃないの? 自分の解釈が絶対でもないし
この歌詞は絶対こうだなんて言えるのは藤原だけだし
色んな解釈あっていいのでは 消えない悲しみがあるとも
消えない喜びがあるとも
悲しみは消えるとも
喜びは消えるとも
未来に喜びがあるとも
未来に喜びがないとも断言してないと思うな
人間の気持ちがどうなるかなんか誰にもわからなくて
たった一つわかるのはそこで生まれて生きてるという事実だけ
BUMPの歌詞では喜びが希望で悲しみが絶望ってわけじゃなくて
喜びが尽きた時にも悲しみのどん底の時にも現れるのはそれなのに生きている、それでも生きている命という普遍のこと
深読みすると平和な時には生きてるって実感わきにくいから喜びも悲しみもそれを感じさせてくれるって意味では対比どころか同じもの
ゼロであの日のように笑えなくていい
だってずっとその体で生きて来たんでしょうとあったみたいに
生きてる意味は喜びや悲しみという感情を超越したものなんだと思う 藤原の詞って、聴いた人のその時々の状況で寄り添えるようにあえて言い過ぎてないんだと思う
歌詞の中で言ってないのは普遍性を持たせるためであって、言ってないから不正解なんじゃないと思うよ
喜びなんてなくても悲しみだけでも生き続ける意味があるって感じたっていいし
行間に希望を感じたならそれがその人にとっての正解 最初に「悲しみは消えるというなら喜びだってそういうものだろう」と書いてるからには喜びのことも行間に含んでると思うよ
ただ例えば「消えない喜びもある」という様な無責任で軽い歌詞は書けない
そこで「生き続ける意味もあるだろう」という藤原節だと思う そうそう
だから>>287に対する答えは
はっきりしてるのは生きてる意味あるよって寄り添おうとしてるってことだけで
そこから喜びなんてなくてもって思ったりいつか喜びがって思ったりするのはリスナーの域ってこと たくさんのステキなお言葉 考え方
とても勉強になるなぁBUMPのリスナーでよかったと思える 本当ありがとー
私も皆さんみたいになれるように
がんばろー 藤原が断言するのは
君の目は必ず再び光るだろう、とか
出会った物は本物だよ、とか
とても素晴らしい日になるよ、とか
君はまだ君自身をちゃんと見てあげてないだけ、とか
相手がどんな気持ちかは寧ろ関係なくどうであれそうやって勇気出して生きてる姿を称えるよって時だと思う
唯一笑えるでしょうと断言した透明飛行船でも「笑う」って言うのが純粋に喜びの表現だけではなかったしね
そういう相手のことは断言しないで
自分がそう思うということは断言するから説得力あるんだよね >>321
しいて言うなら「いつかきっと喜びがありますように」と願ってはいると思う HAPPYの歌詞、すごくいいね。
愛ってなんだろうって、考えた時に、自分だったら相手より長生きしたい。
最後まで見送って一言、ありがとうって言いたいな。
ただ、骨になってしまったら、自分もどうやって生きていけばいいかわからないかも。
本当に愛なんて知らなければよかったと、永遠に苦しむと思う。 ツイッターの自分語りノリを持ち込まないでほしい
きもい 絶対嫌だわw
神格化するわけじゃないが藤原は一種のイタコであって藤原の人格はまったく要らない
心底尊敬はしてるけど曲を聴いてる間はいらない 人それぞれなんだね
私は藤原の人柄を考えなが解釈進めてる
曲を考えてる時はいつも以上にかなぁ
私 ここのスレ新参者だけど すごく楽しいね! でも藤原にはもうちょっと教えてほしいなーとも思う、ヒントちょうだい!って いまさらながら私のHAPPYの解釈
前に書かれてる方と近い感じで
一生消えないと思ってた 辛い悲しい思い
でも生きていくうちに いつかその思いも乗り越えられ愛しい傷に変わっていく
Happy birthdayは
悲しいかったことが HAPPYな考えに変わった日
HAPPYが生まれた日 >>334
自分もそこ切り離せないな
機械が作る歌じゃなくて人間が作ってる以上、そこに温度を感じるからさ
本人は人格なんで関係ない、曲だけ聴いてくれって思ってるんだろうけど 藤原「そうですね。ちなみにその、そこの言葉ってのは、すごく昔からあった歌詞なんですけど、それは。自分の中に。
メモっといた歌詞なんですけど。まず一番の(悲しみは消えるというなら喜びだってそういうものだろう)っていうのと一緒にメモってましたね。
だから今渋谷さんがピックアップしてくれたそこと続きだったんですよね。
(悲しみは消えるというなら、喜びだってそういうものだろう
消えない悲しみがあるなら、生き続ける意味だってあるだろう)
ってそこ四行でセットだったんですよ。
一番の歌詞は、例えばよくある
「悲しみはいつか時間が解決してくれるよ、生きていればいつか楽しい事もあるよ!」
みたいな無責任な慰めに対する、絶望してる当事者本人の
(お前らに俺の気持ちが分かるかよ!悲しみが簡単に消えてくれるなら、その喜びというものだっていつか忘れちゃうんだろ?
そんなものの為にこの先、生きていく価値あるの?)
という相手側の人生を悲観した投げやりな言葉だと思う。
それに対して最後のサビは藤原本人の
「そうだね、一生消えない悲しみというものは確かにあるんだと思う。確かにあるけれど、だとしたら、その逆もまたあるんじゃないか?
もしかしたらもう、出会っているかもしれないし、この先の人生で思いがけず出会うかもしれない。だとしたら生きていく意味もあるでしょう?」
というメッセージ
だから「消えない喜びだってあるだろう」と直接歌詞には書いてないけど、そこを読み取れるか読み取れないかが
解釈上級者と初心者の違いだと思う HAPPYまだやるのかwなんかすげえな
上級とか初心者とかじゃないと思うよー
その人の人生観とか経験とか今置かれてる状況とかで違ってくるんじゃないの?
自分はずっと言ってるけど消えない喜びもあるって解釈
けど生き続ける意味だってあるだろうにはもっといろんな意味が含まれてると思ってるよ いつかは消えてしまう感情ばかりの中で、消えない確かな感情があるなら、それが悲しみだったとしても、それを大事に抱えて生きていける、だと思ってた。 HAPPYは、そのときに起こったことをそのまま歌詞にしただけであって、その場にいなかった人達がどんなに考えても、本当の意味なんてわかる訳ない
くだらない問答でしかない >>323
そこをあえて書かない、隠してるから詩人なんだよね。
普通の人は対比させて書いちゃう。
隠してるからこそ、そこを読み取れる人には力強いメッセージとなる。
行間読めてるね >>343
多分あなたがスレの内容を読み取れてないけど
「生き続ける意味だってあるだろう」と言うのがイコール消えない喜びがあると断言してるんじゃないという会話をしてるんだよ >>346
藤原の2人の親友に何があったのかを推理してるんじゃない、
歌詞を解釈してるんだからお前は根本的にピントがズレてる www
個人的な人に唄いたいだけの唄を商業音楽でやる必要は無い
発売するからには聴いてくれる人にも届くように歌詞は書かれている
だからその歌詞を読み取ろうとする行為には意味はあるよ よく言われることだけど藤原も歩みを止めるのは絶望じゃなく諦観だと言ってる
消えない喜びがあるから大丈夫なんじゃなくて
消えない喜びがあるかもしれないと思うこと自体が希望なんだよね >>350
はぁ?歌詞を解釈する=そのときに何があったかを知ろうとする行為になると思うが。
そもそも個人的な歌しか作ってないじゃん 確かに藤原やその曲のモデルになってる人しか本当の意味は解らないだろうね
そして全ての曲がそうだろう
でも藤原自身も色んな解釈で聴いてもらいたいと思って世に出してる
色んな解釈をここで言い合う事はくだらない問答ではないと思うが >>349
読み取れてるよ?
この曲に関して言えば、そこは素直に消えない喜びもあるという断言だよ
「悲しみ」と「喜び」は同じ感情。それの対比だから
それは、全然チープな言葉では無い。
ちゃんと消えない悲しみも絶対的にあると認めた上での、消えない喜びだから。 >>341
私も切り離せないけど、藤原のイメージに歌詞の解釈が引っ張られてるんじゃなくて
歌詞のイメージに藤原という人間の解釈が引っ張られてる感覚だから
歌詞についてはあまり喋らないで欲しい派だな
まあ途中から鶏が好きか卵が先かみたいになってるけどw その時に起こった出来事を違うカタチで表現するのが天才的なのであって、その実際の物事を知らない人たちがどんなに問答したところで、藤原基央の凄さの半分も知ることは出来ないよ
逆に、買いかぶりすぎてるところもあるんじゃないかなと思うし
つまり、くだらない無駄な問答にしか見えない >>344
なるほどねー
解釈は人生観がでるんだね
なんの為に解釈してるかといったら
自分の人生に生かす為だもんね
だから人それぞれ答えが違うんだね >>354
消えない喜びはきっとあるけどその人が出会える保証はない
けど消えない喜びがあるかもしれないということ自体が希望って解釈だから
あなたとはごめん違うみたい
ごめんね >>352
何がその人にあったかを知ることはどーでもいい事
ただ喜びや悲しみというのは人類が共通して抱く感情で、共通のもの
それについての考察なんだからあれこれと考える事に意味はある >>359
そんなんじゃただ曲に自分を投影して自分の都合のいいように解釈してるだけであって、只の自己中じゃないか
そんなんじゃこの曲の表現の仕方が、どれほどレベルの高いモノなのか一生理解出来ないよ >>355
自分はけっこう藤原のイメージに引っ張られてるわ
寂しがり屋で人間が大好きなイメージだから、
ちょっと前話題になってた、君=僕自身と解釈したがる風潮があまり好きではないw
あくまでも個人的な感情であってそういう解釈を否定してるわけではない、念のため >>360
都合良くは解釈してないよ www
書いてあることから読み取ってるだけだろw
じゃあ、藤原がよく言うタイアップ先と自分の感情の重なってる部分を描いてるというのはどういう事なの?
それはつまりタイアップ先の為だけの唄では無いよという事でしょ?
映画やドラマやアニメを観てない人は聴くな、どうせ言ってる意味分かんないからということですか?違うだろ?
藤原にも親友にもすれ違うだけのあの人やこの人にも重なるような普遍的な唄を唄うというのがバンプのテーマだから >>363
自分は逆に寂しがりで人間大好きは歌詞になった時に濃縮される一部のイメージで共感しきりなんだが
藤原本人はやっぱ高嶺の花だなと度々思う
皆言ってるが純粋に魅力的なんだよね
そういうどう見ても魅力的な人がなぜこれだけ自信ない凡人の気持ちを書けるのかという不思議さと
あれだけ魅力的な人の孤独は誰にも理解されないだろうからそりゃ書けるわなという納得が両方あってハマる ほとんどの曲が、地球に降りてきた宇宙人の歌だと思っている。 ほんと非凡で稀有で才能ある人がなんでこんな自己肯定感低い凡人の気持ちが分かるのかって思うよね
最大の謎かもしれない >>366
逆だなあ
藤原って奇想天外なキャラクターっていうんじゃなくて
皆内心ではああなれたらいいなって思ってるけどなれない人って感じ
だからこそ共感するし信頼するし救われるんだよ
あと単純に言葉にできなかったことを言語化してくれるのもありがたいし ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています