単なる感傷や自己陶酔いわゆるポエム
単なる感傷や自己陶酔、
いわゆる「ポエム」と詩との違いは
どこにあるのか
確かにしておきたい ひたすらネガティブな気持ちを書き綴ったり
こんなことに感動できる私すごい!みたいな
途中で読むのをやめたくなるような詩と
その先をもっと読みたくなる
そういう詩との違いは何なのか Twitterはポエムばっかだな
字数制限があるからしょうがないのか それはお前が進次郎という道化を演じているからだ
お前は今日から自民党を抜けて共産党に入れ
そして自民党をぶっ壊すための
ありとあらゆる方策を言葉にし、実行せよ
そうすればお前の言葉は戦う男の詩となるであろう 嫌なことをあんまり明確に日記にして残すと後で読み返した時に
嫌な感情がフラッシュバックしてくるから
ポエムくらい曖昧な表現にするのがちょうどいい でもポエムは読み返すこと自体が
フラッシュバックになるし ならない
なんで書いたのか読み返す頃にはだいたい忘れてる ならポエムではなく詩を書いた方がいい
ポエムは自分にも他人にも何も与えない 詩を書くと自分の外が見える
ポエムは自分の中しか見えない 大半の書いてるやつそんなん気にしとらんどっちも一緒や だから大半の詩、つまりポエムはつまらんのだ
ポエムのレベルから脱却できてないのだ 同じ様な心を持った誰かになら、自分だけにしか通じないと思っていた感傷や自己陶酔も何かが響くのだろうか ポエム=詩だと普通に思ってたので
最近はネガティブな意味で言われる場面が増え
違和感あった 古臭いかも知れないがねじめ正一やブコウスキーを
思い浮かべるしそのくらいしか知らない
ネットにも一人すごい人がいたが行方を知らず 自分は自閉的性格なのでブコウスキーの言う「4枚の壁にやられる」という
その壁の謎を解き世界と再接続するきっかけになるものという感じはする
浮き出てくるのは難解な言葉とは限らない
むしろ内面にぴったりあてはまる言葉でないと効果がない
でもそれが幼稚退行で人を試したり振り回しているようにしか見えない場面で
ポエムに縁がなくても生きられる人は特に我慢ならなく感じるのは仕方ないのかも
さしずめ他人のポエムはリズミカルな壁ドンや貧乏ゆすりの一種といったところか
芸術点なしという事 まとりあえず自分の場合は
”何もしてないのに何かしてる風”の味わいが
大好物なだけで(デスク周りに凝るなど)
ちゃんとしてる人たちに何一つ敵わないし
目指してもいない 「何もしてないのに何かしてる風」
机の周り、きらきら光る
真鍮の文鎮、アンティークの万年筆
こだわり抜いた椅子、厳選したコーヒー
ああ、なんて充実した時間だろう
何もしていないのに、何かしているような気分
書類は山積み、仕事は一向に進まない
それでも構わない、この雰囲気さえあれば
ちゃんとした人たちに、敵うはずがない
目指してもいない、ただここにいたいだけ
机の向こう側、窓の外に広がる景色
何も見えていないのに、何かが見えるような気がする
ああ、なんて幸せな時間だろう
何もしていないのに、何かしているような気分