言葉はその人に在つては、附せられた素材性を払ひ落し、事実を補へるのではなしに事実のなかに生き、
言葉そのものがわれわれの秘められた願望とありうべき雑多な反応とを内に含んで生起します。我々が手段として
言葉を使役するのではなく、言葉が我々を手段化するのです。――かくて叙事詩人は非情な目の持主です。
安易な物言ひが恕(ゆる)されるなら、人間への絶望から生れた悲劇的なヒュマニティの持主だと申しませうか。
お嗤ひ下さい。僕の聯想はあちこちと急がしく飛びまはつてさぞ貴下をお困らせするだらうと思ひます。僕は
廿世紀の思潮が原子爆弾によつて決定されたなどと威勢のよいことは申せません。あの耀かしいヒュマニズムを
行動の原理と恃んで出発した十九世紀思潮の、継子として生れたのが廿世紀でした。廿世紀は何を発見したこと
でせう。まだ危険な試みの繰返しにすぎないではありませんか。次々と惨鼻な戦争がおそひかゝり、その間々に
もたらされた平和は、死刑囚が最後の日を待つ安楽な数日にすぎませんでした。

平岡公威(三島由紀夫)22歳「M・H氏への手紙――人類の将来と詩人の運命」より