正直、この人は詩人をやるには散文的であり過ぎた人なのでは、と思う。
この人の詩を読んでると、やけに説明的なのに出くわすことがある。

「理性の、幻想の、情感の、いとも美しい神祕をおもふ。」とか、
「ああかの神祕なるひとつのいめえぢ――「美しき死」への誘惑。」とか、
読者にイメージを感じ取って貰う前に直接的な言葉で表現しちゃってる気がするのです。