0101名無しさん@お腹いっぱい。2022/07/29(金) 09:39:00.80ID:+1qooaMq>>100 ここで、日本語において「チョキチョキ」または「チョキンチョキン」という 擬態語は、ハサミ、つまりは、"pinching"によって「切る」様子を表現して いることを思い起こそう。すると、この場合、「チョ」は、その切り始め に対応していると考えられるはずである。 0102名無しさん@お腹いっぱい。2022/07/30(土) 15:11:16.23ID:phZIkawn>>100-101 応用を考えてみよう。「『ちゃっかり』している」という表現がある。 「ちゃっかり」とはどのような表現だろうか。検索すると、 >[副](スル)自分の利益のために抜け目なく振る舞うさま。「案外―している」 という解説がヒットし、「抜け目ない」振舞いとして説明されている場合が 多いことが分かる。「ちゃっかり」&「英語」で検索すると、「ちゃっかり」 の訳語が示されるが、「抜け目ない」に対応させるように"shrewd"と訳されて いる事例が多く、"cunning"、"calculating"などの訳語も示されている。 だが、この解釈は適切だろうか。私には、"a shrewd person"と 「ちゃっかりした人」は、明らかに異なっているように思える。 なぜながら、「ちゃっかり」には、本来的に「意外性」が伴っており、 「『ちゃっかり』している」という言い方は、単に「抜け目がない」という 形容ではなく、「(自分の損得にかかわることに関しては)案外/意外と 抜け目がない」ことを表現しているからだ。これに対して、 "he/she is/turns out to be surprisingly/unexpectedly shrewd"という 言い方がされることはまずない。そういう言い方をするなら、 「ちゃっかり」に相当するように当てられる英語は、"shrewd"ではなく、 "clever"だろう。つまり、「『ちゃっかり』している」とは、 "being surprisingly/unexpectedly clever when it comes to one’s own interest"ということ、言い換えると、「抜け目がない」/ "being shrewd"なのではなく、それ以外では抜け目があるように 見えながら、自分の損得にかかわることに関する場合だけは、 抜かりなく/賢く/"clever"に振る舞うことを表現していると言う ことができるだろう。 0103名無しさん@お腹いっぱい。2022/07/30(土) 19:09:51.54ID:phZIkawn>>102 どうしてこれが応用なのかと問われそうだが、それは、英語の"clever"の発音は、 私の語感では、日本語の「チョキチョキ」と同様にやはり、「刃による切り込み を生じさせる」ようなイメージを想起させるからである。そして、 日本語の「『ちゃっかり』している」の「ちゃっかり」は、何らかの擬態を 表現しているわけだが、私にはそれは、英語としては、"clipping"に相当して いるように感じられるのである。 >clip (v.1) "to cut or sever with a sharp instrument," c. 1200, from a Scandinavian source (compare Old Norse klippa, Swedish klippa, Danish klippe "clip, shear, cut"), which is probably echoic.< 言い換えるなら、「ちゃっかり」は、自分のために"clipping"をして、 "a small piece cut off"を確保するイメージを想起させるのである。
英語の"clever"が「刃による切り込みを生じさせる」ようなイメージに 結び付くことに関連して言えば、日本語の「『ちゃちゃ』を入れる」 の「ちゃちゃ」は、英語の"clever remarks"/"quips"に相当すると 考えることができる。つまり、「『ちゃちゃ』を入れる」≒ "interrupt/interfere with clever remarks"ということになる。 次のような例文を参考にしてみるといい。 > At the hospital, we asked him why he was so relaxed and he quipped, "It's the drugs." (joked) >I believe it was Oscar Wilde who made the famous quip about life mimicking art. (clever remark, witticism) >The late night talk show host was known for his funny quips. (clever remarks) 出典:vocabulary-vocabulary.com/dictionary 0104名無しさん@お腹いっぱい。2022/07/30(土) 19:16:49.07ID:phZIkawn>>95 誤:"salpicadar"に 正:"salpicar"に 0105名無しさん@お腹いっぱい。2022/07/30(土) 21:01:52.50ID:phZIkawn 言語表現のメタ言語的な記述の試みは、見てのとおり、そのまま、互いに 異なる言語間の中間言語として機能する。これは、無論、そのような 試みが、言語間の確実に適切な翻訳表現をもたらすことを保証すると いったようなことを意味するわけではない。それでも、別言語の表現を メタ言語的な記述によって橋渡ししようとすることは、特定の表現が どのようなことを伝えるものと解釈されているのかをよりはっきりと 明示することになり、選択される言葉の適合性を判断するのに役立つ。 逆に言えば、別言語においてうまく適合すると判断される表現を もたらすメタ言語的な記述が、中間言語として有効であることになる。 0106名無しさん@お腹いっぱい。2022/07/30(土) 21:12:16.34ID:phZIkawn 「壟」/「野(の)」に関連して、私は次のように述べた。 >>60 >記述的なメタ言語として英語を利用して、「しの(忍)びない」という 表現そのものとの対応関係を伝えようとするなら、私は、 "it is too much subduing of onself (to do 〜)"のような記述を することになるだろう。<
以下は、ゲーテの著作、"Dichtung und Wahrheit"に目を通していて 目に留まった一節からの引用である。 >So können uns Kräuter und Blumen der gemeinsten Art ein liebes Tagebuch bilden, weil nichts, was die Erinnerung eines glücklichen Moments zurückruft, unbedeutend sein kann; und noch jetzt würde es mir schwer fallen, manches dergleichen, was mir aus verschiedenen Epochen übrig geblieben, als wertlos zu vertilgen, weil es mich unmittelbar in jene Zeiten versetzt, deren ich mich zwar mit Wehmut, doch nicht ungern erinnere.< 0107名無しさん@お腹いっぱい。2022/07/30(土) 21:24:26.29ID:phZIkawn ここで私が注目したのは、 >noch jetzt würde es mir schwer fallen, manches dergleichen, [...] als wertlos zu vertilgen< という表現である。
この箇所は、『詩と真実 第二部』、p.25に次のように訳されている。 >私はいまもなお、[...] そうしたいろんなものを、価値のないもの として棄て去る気には容易になれないのである。 0108名無しさん@お腹いっぱい。2022/07/30(土) 21:28:54.50ID:phZIkawn>>58 >「しの(凌)ぐ」を"to place oneself above"に対応するものと 見做して、「しの(凌)ぐ」と発音的に重なる「しの(忍)ぶ」を、その 「〜ぶ」という表現の形式から判断して、"to place oneself above"を 単に"oneself"に関してひっくり返すことにより、"to have 〜 over oneself" を「しの(忍)ぶ」に対応させることができるのではないかと示唆した。< 0109名無しさん@お腹いっぱい。2022/07/30(土) 21:55:31.03ID:phZIkawn 以前に述べたとおり、私はドイツ語学習の教育を受けたことはなく、 独学としてでも教科としてまともに学習したこともなく、旅行用の ポケット語彙集のようなもの以外は、辞書も所有していない。 したがって、私は、ドイツ語の"schwer fallen zu 〜"という表現に ついて辞書にどのように説明されているのかすら知らない。 それでも、ドイツ語とは一切関係のない「壟」/「野(の)」に 関連するメタ言語的な記述から、この原文箇所を目にするとすぐに 「〜するのは忍びない」という表現が思い浮かんだ。しかし、 日本語訳を確認してみると、「〜(す)る気には容易になれない」と 訳されており、私が思い浮かべたのとは異なる解釈がなされている。 私は、ここで自分に思い浮かんだ解釈に妥当性があるのか否か知らない (まだ確認作業をしていない)が、たとえその解釈が思い付きに過ぎない ことが判明したとしても、それは修正されるべきものとして役に立ち、 私には、それを手にしている方が、何も反証されるべき仮説がない 場合よりもはるかにましなのである。 0110名無しさん@お腹いっぱい。2022/07/31(日) 17:58:12.62ID:ImCLW7bS ミコトノリこそが至高であり、それを最も大切にしなければならないとする 人々が何をどのように説得しようとしたところで、哲学をすることは、 中間言語を磨こうとする試みとしてあり、それなしには哲学はあり得ないのである。 0111名無しさん@お腹いっぱい。2022/08/01(月) 22:21:15.96ID:iRmddGW1 ところで、日本語では、「しの(凌)ぐ」(≒"to place oneself above")/ 「しの(忍)ぶ」(≒"to have 〜 over oneself")において、「壟」/「野(の)」 が反転する関係で流用されていることは、例えば、ラテン語の"subīre"が、 一方で、スペイン語/ポルトガル語においては専ら、「のぼ(登)る」を 意味するように用いられ、他方で、フランス語においては専ら、 「被る」、「しの(忍)ぶ」を意味するように用いられるようになって いることを考慮すると、「〜ふ」という表現法が、その解釈の不確定さ を伴いながらも、中国語の表現に結びついた発音を流用して日本語を 効率的に組織化して形成することに、いかに重要な役割を果たした のかを見てとることができるだろう。 0112名無しさん@お腹いっぱい。2022/08/01(月) 22:28:34.71ID:iRmddGW1>>102 誤:「『ちゃっかり』している」とは、"being surprisingly/unexpectedly clever when it comes to one’s own interest"ということ 正:「『ちゃっかり』している」とは、"being surprisingly/unexpectedly clever when it comes to taking care of one’s own interest"ということ 0113名無しさん@お腹いっぱい。2022/08/01(月) 22:48:21.99ID:iRmddGW1>>111 さらに、このような比較から、このような反転の関係性が実現することの方が 自己/"oneself"の存在に先立つ、というよりむしろ、その実現が可能であること によって初めて、自己/"oneself"が存在するものとして現出することも見てとる ことができるだろう。 0114名無しさん@お腹いっぱい。2022/08/06(土) 00:14:56.78ID:MCf3vgn4>>100-101 >ところで、日本語には、「話を『混ぜ返す』」という表現がある。 検索すると、 >わきから口出ししたり、ちゃかしたりして人の話を混乱させる。 まぜっかえす。「茶々を入れて話を―・す」< という説明がヒットする。話を「ちゃかす」こと、 話に「ちゃちゃを入れる」ことが、「混ぜ返し」を生じさせることになると 捉えられていることになる。<
日本語の「ちゃかす」、「ちゃちゃを入れる」という表現に対して、 ドイツ語の»jemandem ein Schnippchen schlagen«という表現は、 その用法が完全に重なるというわけではないものの、互いにとても よく似ているように私には思える。
>Ein einziger unserer akademischen Mitbürger hielt sich für reich und unabhängig genug, der öffentlichen Meinung ein Schnippchen zu schlagen. (出典:Goethes Werke. Hamburger Ausgabe in 14 Bänden. Band 9, Hamburg 1948 ff, S. 217-258.)
有名な詩だけどこのドライブ感を超える詩は見たことがない 0122名無しさん@お腹いっぱい。2023/03/18(土) 13:06:38.81ID:quv46kEA 【地球は】 世堺教師マ仆レーヤの警告 【危ない】 ://kizuna.5ch.net/test/read.cgi/sky/1664955493/l50 0123名無しさん@お腹いっぱい。2023/03/31(金) 02:32:00.37ID:2YNQXDyH (▼ω▼o)y-~~~ 0124地球市民と市民社会2023/05/03(水) 10:58:34.22ID:/PbOh5Hr >>Et tout est si facile quand on marche dans sa ville Même les bleus pour moi sont en civil ― Doc Gynéco 0125名無しさん@お腹いっぱい。2023/06/01(木) 22:22:39.43ID:Kh2Qutnv おまんこ https://www.youtube.com/watch?v=tVgH0TBUuN4&t=148s0126神の僕 ◆P10fR708T6 2023/06/13(火) 22:02:44.78ID:38IBRkIF ~~~夏の新しいおとぎ話の森の三角旗~~~~