>>146さん
大切なことですよね、私も同感です。

私は、好きな人に安心して信じていて貰える人間でありたいと、いつも考えています。
好きな人に、大きな失望感を与えることほど、悲しいことはないからです。

だから、好きな人に「これに挑みます」と伝えたことには、
例え傍目にはどんなに無謀で望み薄に映ることでも、
絶対に成し遂げる、という意思を持って挑みます。

失敗は、そりゃあするかも知れないけれど、
すると言ったことをしないで逃げるよりも、
全力でやり切った結果、それでも駄目だった、となるほうが全然いい。
好きな人に、「一番肝心なところで逃げた人間、信用に値しなかった人間」と思われるより、全然いい。

私は、好きな人を少なくとも意識して裏切った覚えは一度もないし、
例え大した器量はなくても、好きな人に大きな失望を与える人間ではないはずだ、
失望を与えずに生きられる程度の根性は身に付けて来たはずだ、と自分を信じてもいます。


反対に、好きな人には、いつも出来る限り、何も求めずに接していられるようでありたいです。
大好きな、大切にしたい相手に、「なんで信じさせてくれないの? なんでこれをしてくれないの?」と、
相手の事情や苦労に思いをはせることなく、自分の苦労だけに目を向け、その苦労をアピールし、
要求を突き付け、追い詰めることは、人として絶対にしたくない……


「信じる」ということについて、私は、そもそも人間として信じられる相手を好きになるので、
基本的に今以上を求める気はなくて、
いかに、相手に自分を信じて貰えるように生きるか、
その一点に意識を集中しています。