>>888
今から述べる事はわたし一個人の考え方です。
(誰宛とかではなくただただわたし一個人の考え方なので、もうこれ以上この話題に付き合いません。
 人それぞれ考え方が違ってもいいと思っています。なので今後スルー願います。)

わたしが理不尽な目に遭った時、相手のバックグラウンドばかり見た為に何回も大目に見ては自己犠牲。
泣き落としに何度も騙され、人の優しさに漬け込み相手はわたしをまるで奴隷扱い。
『(自分を)怒らせる奴が悪い/自分の機嫌が悪くなる自然現象でさえ人のせいにする』思考の持ち主でした。
自分を大切にしない人間(以前のわたしみたいな人)は、そういった人達に利用されやすいと思っています。
そんな経験から(直感+必ずちょっとは接してみて)とんでもないだろう人に対して性善説は一切通用しないと思っています。
そんな事からわたしはバックグラウンドを見ない事に決めました。
最近では危ないだろう人には近寄らない方がいいとでさえ思うようになりました。

つまり自ら変わろうとしない人には性善説なんて当てはまらないと思います。
一生懸命変わろうと努力している人を間近で長い期間見た時、人は性善説を信じたらいいのだと思います。
そんな姿をみたら普通の人間は優しい気持ちで受け入れてくれる事が多いと思います。
わたしはそんな素晴らしい人を一人だけ知っています。