>>163
私、あなたの論には非常に共感を覚えます。
というのも、私が書いている小説(のようなもの)は八割方日常の描写をした手習いの日記や夢の記録から構成されているからです。

そういう個人的な話は別としても、文章書く人って、日本の歴史見ても源氏物語もそうですけど、日記を手習いにしている人が非常に多い気がしますね。
(ちなみに更級日記の作者も「夜半の寝覚め」って物語を書いているんですよね)
それはやはり日記というのは感情の言録でもあるからでしょうね。
自分自身の日常の視点を通じないと自分の生のままの感情・血の通った心理描写は行えず、
自分の心理描写を行えなければ根本的に自分以外の心理描写も行えないから、でしょうかね。

ちなみに、ラディカル・フェミニズムの信奉者におひとりさま論がもてはやされるのは、
人間の再生産をしようにも彼女らができないからだと思いますが、
それを構成する要素に分解すると、自分の心に対する分析がされていないために、他者と心を通じることが恐ろしいからでしょう。
他人と心を通じることがその自分自身の眼からも隠されてあったものに否応なしに向き合わされてしまう、
どこまで行っても女性的でしかない自分自身の本質に触れることが不快で恐ろしいから、自分を見ることを避けようとして他者からの働きかけを避けようとする。
(本当は、向き合って、見て、その苦しみを受けいれた方が、その後で明るい優しい世界が開かれるのにね。)

つまり、心を開けるほど価値観や人格がしっかりしても強くもないから、「自分が無い」から。
根本的に対話ができないからだと思いますね。
だって人間の再生産、子供の教育なんか、その最たるものじゃないですか。
自分が心を開かなければ、子供からの働きかけを受け入れて自分自身が変化することも受け容れていかなければ、
誰も教育なんてできやしませんよ。
彼女らにはその能力が欠けているんです。