国鉄103系を語るスレpart20
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
>>100
あれは一本しかないから227系投入後はどうなるかな。 >>102
山手、京浜のATC化のためATC高運車を両線に入れて低運初期車を関西中心に他線に玉突きさせたため。103系を語る上で基本中の基本。 >>104
西にいた高運クハは、尼事故のあとケヨだったかから来た中古を除けば
全部関西に新製投入された個体(非ATCバージョン)だったんじゃ? ありがとう103系さよなら運転はどこで行われますか 高運だからといってATC対応とは限らないんだよね
なんで番台分けなかったんだろ >>105
そうだよ
東から西へ転属(国鉄時代)/譲渡(民営化後)された「高運非ATCクハ」は、
存在しない/クハ821、828
で、ついでに言うと逆に西から東の移動は、国鉄時代も含めて全く事例がない
821、828は東に継承された中での非ATC高運クハのラストナンバーで譲渡当時既に25年落ちの未更新車、
東が持っていたクハでは2番目に新しかったが(継承した中で最後に新製されていたクハは
ATC改造された811、818)、まぁボロだわな
クハ821、828と製造日が同じなのはモハ102ユニットが2017〜2019※1、サハが501※2
一週間程度違いでサハ762が改造落成している
※1未更新、末期はクハとは別編成を組んでいた
南武線に転属して廃車
※2製造日は西の502、503よりも後で、後年に同一編成にいた500とは製造日が異なる
未更新のまま、より古い更新済サハに置き換えられて総武中央で廃車
東から売られて一緒に西に来たモハと同じ製造会社・製造日のクハはATC高運の751・764で、
モハが津田沼に対してクハは品川に投入されており、関西同様に中古クハで総武に投入されている
当時の編成表を持ってないから正しく知らないが、転属日からして総武ではクハ138、139あたりと編成を組んだのではないかな >>108
JRR国鉄電車編成表80年版だと、
Tc751と764の中間はMM'35T35MM'26T36MM'36になっている。
M'2000番台が出たという速報が載っていて、Tcは814までになっている。
本の収納場所をあさればもう少し新しいのがあるだろうから、
時間があれば探してみる(しばらくはあかんかもしれん、すまぬ)。
ちなみにTc138・139はこの時点で松戸、冷改済み。 >>106
二つ前のスレタイより
【◎筑肥○和田岬▲加古川×播但】←予想順
要はなにも決まっていない。 >>111
大鉄天鉄への
線区単位で103新造投入実績は
阪和線
東海道山陽緩行線
大阪環状線
片町線
福知山線
非ATC高運Tcは東海道山陽緩行線を除き
上記の線区向け全てに新造配置されたかと
関西線は転入車のみ >>111
しかも片町線への投入は関東含めて高運非ATCクハそのものの初配置だった
それと投入名目と実際の配属が一致してる珍しい例のひとつだったかと
>>113
このうち大阪環状線は片側のクハだけ新製配置だったよな 499の次は701だもんな
何処かで帳尻が合わなくなる 2000番台に低音のMT55
初期車に高音のMT55A載せたり
今思えば、結構いい加減だったんだなw クハ103は順番通りに製造してなかったな
奇数番号が奇数向き専用で偶数番号が偶数向き専用(後年逆向きに改造したのがある)で番号と製造の順番が見事にバラバラでしかもクハ103-845・847・849が存在しない
非冷房車は500番台を除いて両方の向きで使えたが冷房車は冷房回路だけ片渡りにしてて方向転換を考慮してない設計だった
183系や381系は冷房回路も両渡りになってる >>117
工場の入場期間短くするために部品は循環させてるだけで決していい加減な訳ではない。ヲタは台車とかモーターとかの形式名のサフィックスとかやたら気にするけど、普通は同一形式なら汎用性あるから製造時とは無関係に組み込まれる。 >>108
モハのユニットだと、西から東への転属はあったんだけどね。
福知山線用のモハ102-2033のユニットが赤羽線10両化の絡みで池袋区に移ったし。
(同時期に2044〜2048が新製で赤羽線用に。増やした両数だけ見れば過剰だが、お陰で赤羽線の冷房化率は上がった。) クハのずれた番号で、461-726、463-728というセットもあった。
モハも143-269、144-268と言う不思議な組み合わせがあった。 >>120
彼らは更新も受けずに早死にしたな。
関西居残り組は昨年まで阪和線などで運用があったが。 >>73
>>72は4ドアの通勤車の事を言った
だから近郊車とは関係ない
話は変わるけど
酉が買った103は福知山線脱線事故で207-0が4両、207-1000が3両の計7両が事故廃車になった代替で急遽導入されたものだったらしい
この大事故が無ければそのまま大宮で解体される予定だった
束201も酉譲渡など一切せずに全て長野で解体だったから
しかしなぜ207-0・1000事故廃車代替が103だったのか?813-300みたく207-3000ではだめだったのか?
まさか、当時の酉が国鉄型の方が好まれていたとか?
事故廃車代替と言えば京急1000が30両ほど阪神譲渡する計画が有ったらしいけど
何らかの事情でこちらは中止となり急遽9000が作られ、5500製造も繰り上げになったとも 103系さよなら運転で「ありがとう1111111」って叫びに行きたい >>18
モハ103-910番台はサハ103-800番台に改造の上松戸へ
モハ102−910番台は911が浦和へ、912はサハ103-804に改造の上松戸へ、913は豊田へ
どれも移動先で廃車になってるから埼京線は関係ないね >>120
この転属は福知山線4連化で余剰ユニット(モハ102の奇数車番入り有効)の転用だったよね
実際に関東に行ったのは件のモハ102-2033と2035のユニットで残りは片町線転用だったな
裏では国鉄本社と大鉄局の駆け引きがあって本来この余剰ユニットは全て関東に転用させる積もりだったのが大鉄局が折角の新車を手離したくないということで実際には関東転用は上記ユニットのみで他は片町線から在来のユニットを転用した
モハ102車番では582,588,589のユニットが関東に行った
やりようによっては片町線に居た非冷房や冷房改造車ユニットを押し付けれたかも >>121
末期のトタとかもっと凄かった
クハで767-288、755-374、803-470というセット
803-470は非ATC高運未更新とATC高運更新クハのセットだった
あとケヨにクモハ+高運クハのセットもあったな >>128
>>121で上げたのは、新製時から461-726、463-728だったのが不思議だって事。
462と464が先に製造されたから欠番だったんだろうけど。
転属の結果相手が変わった例なんて、ぶっちゃけいくらでもある。
常磐線では747-636なんて、どうしてこうなった!って言いたい組み合わせもあった。 適当に、その場にあった車両をつなげちゃったか、
踏切事故でダメージ受けたクハを差し替えて、そのままとか?
奇数クハと500番代クハの組み合わせも、おや?と思ったっけな。
機能的には問題ないのだろうけど、その500番代と組み合わせて
いたであろうクモハはどこ行った?とおもったっけ。
クハ500番代とクモハって同数製造されたんだよな。
まあ、クモハとクハ0番代の偶数で組んでいた編成もあったから、
数自体は合ってたのかな? 昔台車検査とかいうのあったがやめたな
検査で台車を取り外して検査済みの台車に取り換えるの
取りやめになって余った電動台車で3000番台を作った >>131
国鉄時代は予備車は編成組まずバラで配置して工場入場などの際に都度編成替えしてたりしてたから、必ずしも製造時の組み合わせになって無かった。工場入場も編成ではなくユニット単位でクモヤ連結が当たり前だったし。 >>131
クハの試作車も最後は全部偶数向きでクモハと編成組んでたな クハ103-13〜60くらいまでは比較的新製時のペアのままの車両が多かった感じ
イレギュラーで印象的なのは同じラシ所属なのに違う編成に入ってた47と48や国鉄末期に西日本に53を持ってかれたトタの53、54のペアかな >>133
国鉄時代というか201系から編成替えがかなり少なくなった
転属もユニット単位ではなく編成単位が基本となった >>136
編成内の両数増やしたり、ATC化したり、冷房車組み込んだりして、検査周期がバラバラになったからでしょ?
10両編成で新製して中央線のまま転属せずに廃車。京葉線に転属しても10両編成ままで廃車。それなら検査周期はバラバラにならない。 大阪環状線の低運量産冷房車クハなんかも民営化後新製時からのペアをばらしたのが多かった
例えば試作体質改善編成のクハは確か245と254が組んでたし他には243-262、261-244などがあった
他にも大阪環状線に2編成あった片側高運編成でTc806は元々はTc72と組んでいたがご存知の通りTc1と組み直した
これらは元々の状態ではサハ以外とか片側のボロクハ以外同じ製造時のクハとモハの組み合わせだったのをわざわざ真ん中で分割して他編成とシャッフルした結果こうなった
そのくせ両方がボロクハで中間6両が1976年頃製造の新製冷房車で組まれた編成はシャッフルしなかったのが不思議 101系がもっと凄くてMM'ユニットの相方変更を伴う編成替えもしょっちゅうやってて試作車と量産車の変態ユニットもあった
103系だと相方変更はモハ102-169が事故廃車になってモハ102-445に差し替えたのとモハ103-910番台の電装解除絡みしかない
JR化以降は113系800番台でユニット相方変更の組み換えしたことがある >>139
昔、武蔵小金井に住んでたけど武蔵小金井電車区の西端に1両だけとか妻面がたくさん並んでいたのを思い出した 中学生くらいの時、特急とかには全く興味なく電車区の通勤電車の入れ替えが好きだったな
1980年〜85年あたりで首都圏でその点で面白かったのは
中原、豊田、武蔵小金井、津田沼、浦和だな
山手線は貫通編成しかなくて一番つまらなかった >>141
山手線は確かに貫通編成だけだったけどそれでも先頭クハは兎も角中間は非冷房ポンコツもあれば新製冷房車もありということから10連全部ユニット窓やそれと対照的に中間全部非冷房ポンコツと色々あったよね
見た感じ池袋の編成は全部ユニット窓とか両端3両ずつがユニット窓というイメージ、品川は1979年まで新製冷房車の中間車は居なかったのでポンコツ中心だったな
てか品川電車区って冷遇されてね? >>139
169-445ペアのことを知らなかったときに、クモハは155両製造なのに、
なぜ、モハ103と102の番号のズレは156なんだ?って思ってた。
このユニットを武蔵野線で見かけたときに、あれ?と思ったっけ。
今思えば、豊田電車区には、変なのばかり集められてたな。 >>143
豊田以外にも101系が配置されていた所には変なのが多かった 中間車と先頭車で連結してラッチ締め切りだけじゃなくロープも巻いてあったりした >>123追加
酉は福知山線脱線事故で計画が狂っていたから、323導入までの繋ぎで束201を買っても良かったと思うのだが >>146
201系とかはふっかけられたとか?
国鉄だったら、どうったのかなあ?
黄色い103系が未だに走っていたのかも。
で、事故車の補充は、やはりボロの103系を関東から…。 >>147
国鉄時代だったら201関東車は関西へ転用されてたかも
103ATC車・205関東車もね >>145
そういう編成ってほぼ必ず中間車側は幌がなかった側だったのは理由あったのかな 国鉄時代に103系ATC高運転台オレンジ4連で青梅線・五日市線を走った編成はありましたでしょうか? >>146
尼崎事故の影響はタイミングだけの問題で
中長期の車両計画にて
モリの国鉄形全廃は見通し変わらず
>>147
国鉄で201の認識は
特性上から線区と運用の制約が大きく
東京圏と大阪圏ともに適用が限定され
広域転用に馴染まず
205も両大都市圏で相応に増備され
次世代形式導入後に広域転用があるなら
広島など地方の中核都市圏 >>146
201系の置き換えが始まったのは2006年冬からだった記憶がある
2005年の春に起きた事故なのにどこから201系を持って来るんだ?って話になる >>152
>>146は少し説明不足だった
福知山線事故の影響でC電用201・205-0を転用しても103非体質改善が置き換えきれなかったこと
福知山線事故が無ければこの分は新製321-1000になったかもしれない >>127
お陰様で常磐快速に4色混合10両が走った。 >>114
京浜東北線蒲田以南でのATC使用開始に備えて、蒲田の横浜線用H編成から変則4+3と低運クハ、クモハを無くすために環状線は偶数向き先頭車だけ非ATC高運クハ、奇数向きは低運初期型クハとなった。 >>137
組み替えによる検査周期のズレも然ることながら、工場のキャパの問題から10両丸ごと新製車も6両と4両に分けて入場していたのもある。 モハ103でAU712+SC24は真ん中にSC24が付いてたが3000番台だけ違ってて車端部に付いてたな
冷房本体も全体的にオフセットしてあった >>131
クモハと対になるクハのうち、最初は0番台だった。
クハの80番あたり。
神領に来た大量のクハ103-0もこの類。 >>135
クハ53ってKATOで製品化されてたな。 >>135
Tc53〜56は山手線から赤羽線にコンバートされたあと、ウグイスからカナリアに塗り変わる事無く青梅線転用された。
Tc48はTc61とペア組んで青梅線で数少ない冷房車かつ、JR発足後も暫くカナリア+オレンジの混色だった。 >>152
そう考えると束の置き換えペースはエグイな
2000年代前半の時点では103が普通に走っていて、201以降の事故以外の廃車はなかったのに
今や103・301は言うまでもなく201・203・207-900まで全廃
205・209も簡単に廃車になり、更には231の余剰車まで廃車される始末
まぁ、201・203・207-900と一部の209は電子機器の問題もあるだろうが・・
もっと言えば昔はクハ201-3とかサハ205-45・60(だっけ?)みたいに同一形式の廃車が始まるまで取っておく例もあったけど
今は要らないと一度でも言い出したら即長野で解体だもんな
(山手231の6ドアとか331とか南武209の機器更新がいい例) E235の製造ピッチは早くない感じだな
総武に6ドア車まだ結構ある >>163
総武線のクハ103-48の写真をblogで見た事ある。
ドアは金属支持のガラスだった。 明日から18きっぷで来阪するので、阪和線の103系を記録しておこうかと思う。 浦和だとサハ103-7,80,155等TTでの保全工事は最後まで良い状態を保っていたよな >>165
何故か209系500番台から除籍が始まっているんだ。
GTOだから早く更新工事をしなければならない事態かもしれないけど。 >>170
サハ103-80ってラシ所属の時あったらしいが黄色の写真どこにもないな 桜井線正月ダイヤ(元日から1月3日まで)で昼間の線内シャトル運用に就くのは今回が最後かな?
(天理臨や三輪の花火臨除いて) >>178
かたわの写真連投するな!ボケ!
非常に目障りじゃ!
いい加減にしやがれ!
おちょくりやがって! >>180
不快な事ぬかすな!ボケ!
非常に気分悪い!
めっちゃ汚い山陽電鉄のクモハ3050形にして名鉄電車の磁気定期券が乗ったクハ5600形をド喰らわすぞ! めっちゃ汚い山陽電鉄のクモハ3050形にして名鉄電車の磁気定期券が乗ったクハ5600形をド喰らわすぞ!とぬかす>>181の不快な事ぬかすなボケ非常に気分悪いが好きな写真
https://i.imgur.com/LRPhtOD.jpg 103に限らず、前面左側の三桁表示幕ってどこまで信頼性あんの?
昔の数多の写真見ても、まともに使ってるのかふざけてるのか放置なのかサッパリわからないのだが 実際、103系で160km/h走行は可能なのです。
歯車比を6.06から3.50に変えるだけなのです。
181系でサハ2両を外しただけの試験車両(6M2T)が、160km/h走行を達成しています。
181系は歯車比3.50、モーター出力100kwですから、スペックは改造103系のほうが上になります。
なお、160km/h走行時の場合、160/6.60*3.50で、普段の92.4km/h走行時の回転数と同じになりますね。
さあ、では、発車しましょう。 >>185
首都圏や関西の電車線区間での運行番号を表示するものだから、列車線の路線では基本使ってなかったはず。
仙石線、中央西線、岡山、広島なんかは未使用というか、表示機自体撤去してたり。 >>186
151系だよね
>>187
首都圏や関西の電車線区間でちゃんと運行番号を表示してたのかって話じゃないの?
してたよね? >>186
>181系は歯車比3.50、モーター出力100kwですから
MT54だから120kw/hだな >>189
万一ガタガタいいはじめたら速度を落せばいいだけ
台車亀裂新幹線も500km走り続けて別に脱線しなかった
103系160km/h走行計画は止められないよ 189系の編成の真ん中にサハ103を1両挟んどけばいいだけだな 西の103は、何で戸袋窓を埋めていたんだろうね。
元1000番代だった105とかを見ると、40N以外は戸袋窓そのままで良かったような気がする。 まだ走ってる路線ってあるの?
ラッシュ時だけは使われてるのか? >>193
腐食防止と窓洗いの手間減らしとか
>>194
奈良線・加古川線・播但線、筑肥線ぐらいかと >>188
すまん勘違いした。
首都圏は割ときちんと表示していたイメージだけど、関西は幕がずれてたりしていたイメージ、勝手な記憶だけど。 クハ105-101は常磐線のクハ103-73の時からガラスが金属支持のSUSドアだね。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています