まず
207-1000の時代に関空輸送の一環で
大阪環状線自動運転が企画され
対応車新造の検討もされたのは事実ながら
震災を挟み
JR東西線開業準備への注力が当然優先で
C電用103全廃へ向け通勤形新製を集中

大阪環状線自動運転が
構想のみで沙汰止みとなったのは
WEST-21などと同様
中長期の目標とせざるをえない遠大な話で
準備の経費や手間暇が相当見込まれた上
公安当局から24時間運転へ懸念が示され
また
JR東西線建設進捗に伴い
外環状線一部着工の機運が高まり
将来のアーバン輸送の前提を大きく見直し

大和路線快速のJR東西線経由主体化
すなわち現在の直通快速の原形を構成

尼崎事故直前の321の状況は
C電103全廃へ向けて量産継続中にて
201や205の転用が数年の時間差で収束後
その時点以降の増備をどうするかとなり
大阪環状線用や阪和線用が想定されただけ

つまり
D223こと140km/h新快速特化形225や
その登場に伴う223-2000転用など
通勤形快速運用の新世代近郊形シフトにて
残る103旧延命工事車置き換えへ作用と

事故後は形式225の汎用設計化方針にて
4扉通勤形323も225より派生したことで
むしろ
大阪環状線用新造の機運が一気に高まり