国鉄103系を語るスレpart20
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>>748
それが総武線で末期まで走ってたやつだろうな >>748
片町線に最後まで居た編成の冷房車も1965年製だから103系初期車と年代は同じだね
あと大阪環状線に居たサハ103-750の一部の車両は101系であったのは新製後5年程だけだったのもあったね >>748
なぜ当時量産中の103系の車体で作らず先頭車とか101系オリジナル車体で製造したんだろうな >>748
103系初期非冷房車の方が101系冷房車より先に廃車になったのが多かったからね
中にはクモハ103-53や54など103系冷房車でも101系と同時期に廃車になっていたのもあったから車体自体は同じ劣化具合だったと思う 民営化のとき、JRへ引き継ぐ系列は電車・機関車を問わず相当整理されたけど、標準だった103系・EF65の初期車はその時点でも傷んでるって印象だったからなぁ…
>>751
201系の量産を始めても103系の増備を続けてたわけで、前の系列を作る必要があって、ほぼそのまま作れるなら問題ないでしょ。 101系は床にコルク貼ってあって鉄板に床材貼っただけの103系より車体裾の厚みがあったね。サハの750番台は前後の車両より車体が下方向に若干長かったのが目に付いた >>754
関西本線・王寺駅で台風で冠水した101系60両は
床に貼ってあったコルクが膨張してひどいどざえもんになったとか 当時はアルコールランプとセットで使う金網にも使われてたから普通の素材だったんだよ
今ではアルコールランプもアスベストも幻想入り >>757
フラスコやビーカーをアルコールランプで温めるときに敷いてた石綿金網か
懐かしい >>754
靴ズリから下が103系に比べて若干長いよね
南武線で初期型103系冷房改造車と組んでた編成は
窓は全車非ユニット窓だからパっと見は違和感ないけど
よく見ると車体裾が長いから750番台って分かった >750番台
乗ってるだけでもわかったろ
網棚の受け金具が塗装された物で
ブレーキの緩解音が101系のままで 福知山線脱線事故の影響で車両が足りずJR東日本からJR西日本に譲渡されたときは車齢が割合若いのに首都圏での酷使で元々車体が傷んでてたった5年で廃車されたな
非更新車を購入してて戸袋窓は埋めたが延命N工事を行っておらず使い捨て感半端なかった >>762
101系は床下リンク式で床にドアエンジン点検蓋がある
他にキハ35でしか採用されなかった希少なドアエンジンである
103系は座席下に移設してベルト駆動に変わった >>763
しかし何で207-0・1000事故廃車の代替が103だったんだ?
まさか当時の西日本が古い車両好きだったから?
まあ、この事故で103大阪市内引退がまたしても遅れたことは事実 >>763
西の103系は銘板が「日本国有鉄道」のままだったけれど、東はきっちりと「JR東日本」に取り替えていた。
東から西に譲渡した103系は、銘板はどうしたんだろうか?
まさか「JR東日本」のままだった? >>765
急な車両不足で急ぎ発注してもメーカーの製造計画と生産能力の限界があるから、
『既にある(でも近い時期に潰す)』車両をもらってきた方が速い訳で。
(王寺駅水没101系代替の首都圏101系も、国鉄時代だったが同じ理由。)
しかも国鉄時代の車両だから、会社が違えど同じ形式な訳で、乗務員に特別な訓練をしなくても直ぐに走らせられる。
(分割民営化後に施された東独自の改造は、西仕様に直さなきゃいけないだろうが。)
仮に同じことが今起きたとしても、よっぽどの車両不足がない、限り西が209系やE231系を譲り受けることは考えにくい。 >>768
201系を譲り受けなかった時点でお察し >>752
南武線の初期クモハ103冷房車を鶴見線に転入させて101系冷房車を早期に置き換えると思いきや初期クモハ103冷房車はそのまま廃車で101系冷房車は翌年も残った
検査期限の都合か103系の状態がかなり悪かったかのどちらかだと思う >>696
仙石線が先頭車をMcで揃えていたのは、陸前原ノ町の検修庫が2両分しか無くて、Mc M'+T Tcに分割するため。
両端TcだとTc+M M'+Tcに3分割しなければならなかった。
宮城野は検修庫4両分キッチリあるから、Tc M M' Tcでも問題なかった。 >>772
クモハ編成はサハを抜いて3両編成可能な反面連結器の衝撃が大きく不評だった
青梅線や奈良電車区や阪和線の羽衣支線予備にもあった マト7編成で終わりかと思ったらRT235編成が残った
※201系のH4編成とH7編成も同様の背景が >>762
750番台というか101系は、
開くとき ガラガラガラドンドンドン
閉まるとき ガラガラガラ ダン!
と明らかになにかが転がる音と、動作がいちいち荒々しい。挟まったらものすごく痛そうな閉まり方をしてた気がする。
103系になってだいぶまろやかになった。
103系ってST式戸締装置なんだっけ?だとするとまだ走ってる西武の旧2000系と同じような閉まり方。 >>770
ほんと東日本から201を譲渡すれば、大阪環状を201に統一できたのに・・
(福知山線脱線事故で計画が狂いまたしても新車導入がままならなくなり大阪環状103は323導入まで一部が残ることになってしまった)
国鉄時代だったら間違いなく201関東車は関西に転用されてたろうが・・ >>777
あくまで2chの噂で、201欲しかったけどボロボロ過ぎたから
部品とか貰えそうなのだけ貰って帰ったってのがあったから… >>765
勘違いしてるけど、あれは207系が事故で失われた分の補充じゃなくって、安全性向上の対策として今までギリギリで回していた運用予備を西日本の電車全体で増やすために、通勤型電車の分野では103系が使いやすかったからだよ。
>>776
?福知山線の事故の頃には321系は本線に入れると決まっていて、201系と205系の転用はまだ様々な案を考えている途中だったはずだよ。環状線を201系で統一したいけど、サハが足りないので103系から改造する話まで出てたほどだった。
環状線の新車の話も見通しなんて立っていなかったし、事故があった反省で323系が早く投入されたと言っても過言じゃないくらいなのに… ・・にしても103は西日本でも淘汰の緊急性がかなり高かった筈なのにな
201・205は回生車だからまだしも、103は非回生車だし
東日本は103の故障多発が一因で使い捨てになったらしいが、東日本201・205をそんな早く淘汰するくらいなら一部を西日本に分けてあげればよかったのに
西日本で淘汰の緊急性高い筈の103が諸事情で置き換えがままならなくなっていたとすれば新車導入再開の目処が立つまでそのままにするより
東日本201・205を暫定譲渡の方が省エネ的には効率的だったろう
私鉄になるが、南海に譲渡された泉北3000も南海7000の淘汰がままならなかったため急遽導入されたもの
これも南海としては7000は淘汰の緊急性がかなり高かったが、諸事情で置き換えがままならなくなっていた >>780訂正
南海としては7000は淘汰の緊急性がかなり高かったが、諸事情で置き換えがままならなくなっていたために泉北から買うという事態になった 本筋から逸れるが、この車輌融通が呼び水となって南海の泉北高速系列化と言う一石二鳥を結実させたな >>780>>781
西日本では福知山線の事故があるまで103系の取り替えを、順次進めていくよって方針だけで体質改善車はまだまだ使うつもりだったし、そこまで焦ってなかった。
それよりは乗客の単価が高い近郊型電車の取り替えの方が熱心だったね。103系はよっぽど傷んだもの以外、後回しだったんだよ。
321系の設計を始める前に、東日本でE231系500番台の量産で205系が結構余るかもってなり、西日本が接触したけど、東日本が自分のところで使い切るって話をまとめてしまったし。
このときみこんでいた205系はまだそこまで傷んでなかった。
事故の後に東日本から103系を譲り受けたときも西日本対応の整備に時間をかけてたくらいで、傷んで廃車になった201系や205系をもらっても、西日本で使うには体質改善工事並みの手間がかかるんだよ。
201系を使えない線区もあるしね。手間が省エネ効果を上回ってしまう。 >>780-782
東急9000ガイジは自分で立てたクソスレでやれ >>783
東から103系をもらって使って見て、201や205をもらうのあきらめたのかも知れないね
首都圏で酷使されてる車両じゃ使うに使えないもんね それ以前に、321系の開発前に205系を譲り受ける話がなくなった段階で、在来線電車に関して西日本はJRグループから老朽取り替えのために車両を譲り受けるって選択肢を完全に捨てたんだよ。
新幹線だけはそのあとも東海との関係で、100系や700系の他に、実現しなかったが300系まで譲り受ける段取りをしたけども。 >>776
東が譲渡してたら環状線オール新車がさらに遅くなってたな >>785
あの時車体は新製時から201系並に腐食対策してあった最終型をあげればよかったんじゃね
中間しかなかったけど
東日本は最終型を車齢18年で廃車しちゃったから、まだ使えるじゃんって思った >>751 >>753
小田急も9000登場後に5000を増備してたし、京王も7000登場後に6000を増備してた
要するに当時は新形式が出ても既存形式増備は珍しくない事例 >>787
遅くなってねーよ
予定通り323が入って、やっぱ東から201なんて買うんじゃなかったとなるだけ >>776
間違いなくって言うけどさ…むしろその可能性ゼロだよ!
201系って使える線区が限られてて、国鉄の頃はモータやサイリスタがオーバーヒートするので山手線や環状線でも使えないって判断されてた。
電機子チョッパ制御だから、本来だとほぼそのまま地下鉄直通にも使えるところが、203系みたいに回路を変更しなきゃ使えなかったくらいで。 ただE38が西へ譲渡された時に
京都駅辺りで写真を撮っていたファンが
JR西の作業服を着ていた人に
「そんなガツガツ撮らんでも、また来るで」と言われた、
というカキコがあった記憶がある
カキコの内容の真偽はともかく
貰えるならもうちょっと貰っとけ、という算段はあったのかも知れん
実際に吹田に取り込んでバラしてみたら
思ったより劣化は酷いわ東仕様のATS-Pは総入れ替えになるわで
こりゃダメだわ、となって結局譲渡は1本だけになったのかな、という気はするが
同様に常磐線の415系が九州へ3本譲渡されたが
やっぱり劣化が酷いのであれっきりになったのでは、と思う
当時はまだ国鉄製造の(50/60Hz対応)1500番台も残っていたはず 203系は最初の編成だけ、部品レベルでは互換性があるものの、回路構成は異なっていた。
201系で言えば、軽装車より前の落成で、路線カラーの車両番号がオシャレだった。 スレチだが、阪神は震災で計画が狂い新車導入がままならなくなった時に京急から旧1000を買う計画があったが、何らかの事情で中止になったらしい
その中止になった京急車購入計画の代わりに急遽登場したのが阪神9000
このような経緯があるから、今後は関西が関東の中古を買うことはまず無いんだろうな >>797訂正
新車導入がままならなくなったというより事故廃車になった赤胴車の代替だったスマン 阪神は寸法が合わなかったと聞いたが。
今なら20m4扉車をどこかから購入するかもね。 阪神はいい新車を廃車になるまで使い倒す方針をやめて中古を買うことに転換したのか? >>793
使い方が荒いんじゃなくて、マトモに検査してないんだよ。
本当に壊れないとマトモな検査やらないし…… >>799
これもスレチだけど、南海は7000が全廃でとりあえず淘汰の緊急性が高い車両は無くなったから、泉北から追加で買うことはないらしいよ
これからの南海は純粋に新造して少しずつ置き換えていくとか 束の車両更新工事(笑)で延命どころか逆に寿命を縮めたものまで出たというし 近いうちに買い換えるの分かってて手を掛ける方が馬鹿だろ >>797
伊賀鉄道…
阪神は川重のステンライン空いてたのがデカかったな >>803
小田急も5000・5200の全車に車体修理工事を実施したけど結局全廃
東急も8000シリーズの一部に室内更新工事を実施したけど結局狭義8000は全廃
やはり、当時は置き換えより輸送力強化が最優先だったろうよ
それが103の故障多発が原因となって東日本・私鉄ともに使い捨てに転換 >>806
それを言ったら養老や水間も東急車なんだが
でもこの3社は大規模な会社じゃないから
少なくとも大規模鉄道事業者(西日本や在阪大手)が関東の中古を買うことはまずないだろう 東急9000ガイジは自分のクソスレに引っ込んどれ >>792
九州に譲渡された415は、九州において当時813の増備が困難だったかららしい
(おそらくGTOの生産中止が理由で、後に813の車体に817の走行機器を組み合わせた813-1000を作って対応)
また、四国に譲渡された113も四国において6000増備が困難だったことが理由
これなら西日本も、例えば207-1000の増備が困難になった時に東日本から何かしらの対応はできたと思うが・・
(西日本でも207-1000の車体に223-2000の機器を組み合わせた207-2000は登場したが) じゃあ、103系の車体を載せた72系970番代の話題なら良いのか?w
後に本当に103系になって( Д ) ゚ ゚だったけど。w >>807
全般検査を受けた直後に重大故障したちゃちな阪急電鉄のC#9303×8Rが廃車になりそう! >>808
まあそうなんだけどw
但し、伊賀鉄道の場合、近鉄が絡んでくるから
近鉄が東急車お買い上げ無きにしもあらずなんだよねw
近鉄はもう一般車20年も作ってないししばらく作れそうにもないし ※現役車両の板で技術通史を冷静議論出来るスレが殆ど無い件 >>792
九州が交直流電車で補充するなら、あのときも415系しかなかったじゃない。
西日本が103系を東日本からもらったとき、広島と森ノ宮と日根野にバラまいたでしょ。緊急で予備車を増やすのに手持ちの103系がなかったから。
予備車のためってのが譲り受けた理由なんだから、西日本が103系をそれ以上にもらう必要はなかったのよ。だってそのときには321系を作って玉突きで103系を廃車にしていく計画があったわけでね。 103系1000・1200番台・301系を界磁添加励磁制御化改造してたらどうなっていたか
東西線乗り入れ用で2003年まで残存してたのが意外だがトンネルでの主抵抗器の排熱大丈夫だったのか?
千代田線はシールドトンネルが多くて熱がこもりやすく配線が蒸し焼きになって検査の度に交換とかする始末だった 界磁チョッパ制御の小田急9000形で千代田線がなんとかなってたんだから、起動してから定格速度まで抵抗制御でも、そこから発熱がグンと減ったらマシだったわけでしょ。
界磁添加励磁制御だと205系の定格速度が39km/hだし、営団5000系も冷房化と同時に界磁添加励磁制御へ改造されてたわけで、103系や301系を改造する意味はあったんじゃない?
その昔は、地下線の運用がある113系1000番台や103系1000番台を電機子チョッパ制御化改造する構想を国鉄が持ってたくらいだしね。 関西だけで見ると国鉄型車両は完全に関東寄りな設計
だから私鉄王国と呼ばれている理由が分かった
実際、在阪私鉄の車両ばかり見ると103は安っぽいから >>780
>>810
JR西に継承された103は中間車(モハユニットなど)はS50年代製が主体で、初期車(S39年〜40年代製)はほとんど先頭車なんだが。
でも、先頭車だから「顔」があるために余計に物持ちが良く見えてしまっていたと思われる。
また「淘汰の緊急性が高い」というが、在阪大手では西の103の先頭車の大半とほぼ同じ時期の車両が編成単位なのに対し、
西の103では中間車は当時の在阪大手では中くらいの車両と同時期のものが多かったため、それほど淘汰の緊急性は高くなかったと思われる。
でも、機器類は初期車ベースのままあまり改良が加えられなかったから、いろいろ言われる原因?
>>820
先頭車は部品取りじゃなかったっけ? >>800
>>799は阪神が中古を買うのではなく、他の在阪大手が関東の20m車を買うのではないかという話。
でも、近鉄と南海は全長が関東の20m車よりも1m長いからやはり寸法が合わないし、
それ以前に仕様が合致しないため購入は難しいと思われる。
なお、泉北3000系の南海本線転属は南海6200系と車体の素材以外はほぼ同一設計で、機器もほぼ同一だからできたこと。
つまり仕様が合致するなら可能だが、合致しないなら不可ということ。 >>826
東日本から譲り受けた編成の高運転台の先頭車は、広島に配置されて普通に営業運転で使われたよ。 >>801
海・西・四・九はしっかり検査してるの? 役所に出す検査記録(規定値には幅がある)にあわせてしっかり検査することと、その後のコンディションを担保するためにしっかり整備することとは、話が違うんでねぇ… >>829
少なくとも西日本は103があそこまで長持ちしてるということは南海・近鉄並みに整備技術が高いと読んだ 確かにTTの保全車はOMより長持ちした
サハ103-7・80・155等 >>829>>831
国鉄時代から静岡・金沢管内以西を管轄する地域の工場(工機部)は整備技術に高い定評を有していたな。
東は浜松、名古屋、松任から西は幡生、小倉、鹿児島迄。 妻面のキャンバス抑えとか関西はキッチリとマスキングして屋根に塗料が回ってなくキレイだった
関東はキャンバス抑えも塗ってて屋根も塗料が行ってた
マスキング位置の違いだけかも知れないけど、国鉄の頃から関西の工場って丁寧な作業だったんじゃね
関東は車両数多いから雑になっちゃうんだろうな >>775
ST式ドアエンジンだっけ?
西武所沢工場の特許だよね、確か 阪国人の欲目w
ただのオンボロにホルホルw
その結果がマンション激突トレインw >>834
国鉄最末期は、静岡・沼津区の電車は大船でやってたような
>>838
ST式は左右連動構造ね
ドアエンジン自体は西武も国鉄も旧型国電と同じTK4だった 103系一般車(地上車って意味ね)はドアが閉まる前にチーッ!ってエアー音がしたからドアの閉まるタイミングが分かったけど、地下形や301系は音も無く突然閉まる印象。 >>838
そう。
その見返りとして、西武は当時国鉄標準のDT21台車を使う許諾を得て、FS342台車(とはいえ、実態はDT21そのもの)を作って昭和37年に西武601系に装備させた。
ちなみに601系は主電動機にMT54(西武での型番は異なる)を採用していた。
これもST式戸締装置の見返りかどうかはよく分からない。 >>838
えっ103の設計に西武も関わってたの!? よく考えたら西武の4ドア車(2000・新2000・6000・9000)の座席寸法は国鉄通勤型譲りだもんな
ドア配置は言わずもがなだけど
更に6000ステンレス車の車体は205ベースだし 国鉄車は国民の財産だから国内他社が模倣しても問題ないんじゃないの
AU75もどきなんか今だに西武車に大量に載ってる >>837
反面関西の103系は関東に比べ色褪せ目立った記憶あるけど。 >>837
屋根布に塗装が回っていたのは国鉄末期からJR初期の話だよね
時期的に対象数が多かったから思い切ってマスキングを手抜きしたと言うとほんとそれで正解かも
妻面の塗料は綺麗にグラデーションして屋根に付着し、側面は冷房のランボードに掛かるか
掛からないかくらいにざっくりとマスキングされてこれも塗料が屋根に吹き込んでいた
特に古い冷房のない車が目立ったが、実際は車齢は関係なかった
更新工事で塗り屋根車を出場させる頃には概ね解消された状況
あと103系に関係ないがついでに思い出した
打ちっぱなしの経年の進んだコンクリート橋、特に道路に交差するなどして人などが接近しやすい箇所を
重点的に選び、美観を兼ねて塗装を施して保全するようになったのもJRになってから >>841
あれは、エアー音じゃなくて応荷重装置の作動弁の音な。 西の車は応荷重装置の作動タイミングを遅らせてるのがあるな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています