>>712
猛暑という暑さが一般的になったのが、西日本が異常な渇水となり、戦後一番の暑い夏と言われた1994年以降。
その頃には、既に山形・秋田エリアは701系だったな。
それにどこのJRでも今の現業のメインは、団塊現業の大量補充で大量採用されたゆとり達。
国鉄時代から首都・関西圏以外で、夏場暖房車で鍛えられていた地方の現業連中に比べれば、ガキの頃からエアコン生活に慣れてるゆとり現業は、猛暑に貧弱な体質なんだろう。
>>714
二死のDD51にクーラー搭載車ありなんだ。
関のPFと後藤のには搭載しないのかね。
今はネットで馬鹿クレーマーに投稿される恐れあるからないだろうが、JRになっても真夏に乗降扉開放してる機関車あったよな。
10数年前にいたクソバス事業所ではまだ暖房車が多く、前と運席屋根のベンチレーター開けて運転しても暑い風しか入ってこないw
だからズボンの裾膝まで上げて、客いなければ前ドア開けてたぜw