何で「ふつうの急行」がないのに特急が「特別急行」なの?
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651のように十の位で5を名乗る特急車両が出現した時は衝撃的だった
しかも当時どこの特急よりもゴージャスだったし >>457
151系から時代を繰り返すような感じかね。
当時も、特急形急行形といった類型はあんまり
確立してなくて個々の運転系統を念頭に
開発された感じだし 国鉄特急には食堂車があったが、急行にはビュッフェがあった。
昭和40年代までは、主要な電車急行はグリーン車2両とビュッフェを連結し、堂々たる優等列車だった。
しかしビュッフェを最初に採用したのは急行ではなく151系こだま。(モハシ151)
151系に食堂車(サシ151)が誕生したのは1960年で、食堂車とビュッフェのW装備、さらにはパーラーカー連結という超豪華編成。
逆にそれ以前の151系は、供食設備のある車両はモハシのみだった。
当時はこだまといえども東京〜大阪間は6時間50分もかかったから、ビュッフェの軽食のみでは物足りなかったのではいだろうか。 53・10でひたちやあいづの共通編成から食堂車を外したり、ひばりと共通編成のひたちでは営業休止にし、
さらにときわを3往復ひたちに格上げしている。
特急の食堂車を廃止し、特急運行の人員を削減した上で、
さらに急行を食堂車の無い特急に格上げしようというのが当時の国鉄の増収策だったのかもしれない。 さらにひかりを食堂車の無いのぞみに格上げしようというのが当時のJR東海の増収策だったのかもしれない。 特急から食堂車を無くすことで、急行の特急格上げがやり易くなった面もある。 JR東海がひかりをのぞみに格上げした際には線路設備、制御システムにも投資をしたが、
国鉄が急行を特急に格上げした際には東北新幹線開業で発生した余剰特急車両を食堂車を抜いてあてがったり、
185系という急行設計の車両を特急と強弁して運行した。 「白鳥」は大阪〜直江津間では食堂車が2両連結されていましたね。
かつての鉄道は本当に楽しかったです。
今では当たり前の電化製品である電子レンジも、急行電車の
ビュッフェから世の中に広まって行ったようですね。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%BB%E5%AD%90%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%82%B8
家庭用の電子レンジはかつては非常に高価で、初期のドラえもんでも
スネ夫が自分の家に電子レンジがあることを自慢する描写があります。 急行の特急への格上げに際して、特急列車のクオリティも
食堂車連結・全車指定席というスタンダードが食堂車なし、
普通車自由席在り、と変わっていった。停車駅も急行並みに増えた。 >>466
今は全席指定が基本になりつつあるから
質は良くなってるね JR各社では在来線の全国的なネットワークを生かした長距離列車が減り、
大都市圏では大手私鉄と同じような、地方都市圏では地方私鉄と同じような
構成の通勤電車ばかりとなってしまいました。趣味的には面白くないですね。
東海道本線では55年前の今日からそういう傾向が始まっていたことになりますが、
その後も高速道路網の拡大、航空機や海外旅行の大衆化など、様々な時代の変化が
鉄道にも大きな影響を与えていますね。 東京〜大阪間の需要は大きいが、安い場合、2000円台とかで行ける夜行バスが
ある中では、「銀河」は生き残れなかったのだろう
10月以降の東海道線、東京(都区内)〜大阪(市内)間の運賃は8910円。運賃だけで
これだけするならバスには太刀打ちできない バスの需要って事故が起きているけど、落ちていないの? 新快速Aシートと快速グリーンが急行の代わりじゃねえの
あれじゃダメか >>456
末期のカフェテリアはガラガラで寂しかった
まあ仙台やまびこじゃ当然なんだが >>456
スナックカーってカウンターで水割り飲んでおねーちゃんとお喋りしながら終いにはカラオケ歌いたくなるような名前やな >>476
ボトルキープした車両になかなか再会できない >>466
昔の急行よりも停車駅が増えた阪急特急とかな
特急専用2ドア車が特急兼用3ドア車にサービスダウンしたし、185系と113系ぐらいの差がある ツアーバスは関越の事故を受けて廃止されました。それに当てはまらない
高速バス(長距離バス)は今も走っていますが、需要の動向は知りません。
鉄道の夜行列車に復活の兆しもないため、バスの需要は盤石なのでしょうね。
285系を使用した列車は「サンライズ出雲・瀬戸」だけの状態が続いています。 「はちおうじ」「おうめ」、そして近く設定されるはずな「おだわら」は急行で良いよ。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています