新小平駅水没事故 1991年10月11日
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1991年9月半ばにはホーム北(新秋津側)の壁面から地下水が噴出し始め、
10月11日朝から接近した台風21号による大雨(所沢の24時間積算雨量95mm)
により23時45分頃ホーム北側と線路を含むU字形構造全体が120mにわたって
最大1.3m隆起し、擁壁継目には最大70cmの開口部が生じ、土砂混じりの
地下水が大量(復旧時の計測で8t/分)に流入、駅全体が冠水]しただけでなく
周辺で陥没が発生し、近隣住民が避難するに至った。


復旧までの2ヶ月間、武蔵野線は東京・新習志野 - 新秋津間と西国分寺 -
府中本町間の折り返し運転となり、新秋津 - 新小平 - 西国分寺間はバス代行
となった。

新秋津駅の新小平側には西武池袋線(秋津駅 - 所沢駅間)との連絡線があり、
国分寺駅でも西武国分寺線とJR中央線の連絡線跡があったが、いずれも
西武鉄道による振替輸送は行われなかった。
また、迂回経路となった新秋津駅と西武線秋津駅間に不通期間限定で臨時通路
を設置する案が計画されたが、恒久設置となることを恐れた地元商店会からの
反対により頓挫した。                          ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
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