西暦2045年
ここは小浜と京都を結ぶはずだったトンネル
工事は入り口までは順調に進んでいたが
掘っても掘っても貫通にすらめどが立たない状況に付け加え
京都市内の大深度工事中に大量出水のトラブルに見舞われる
出水は止まることなく延々と漏れ続ける

そして決断を下したのは、小浜京都間の工事中止
敦賀から小浜までの高架橋やトンネルは未成線として
永年放置されることに

それだけでなく、工事ルートを見謝ったツケで
京都までの開業がさらに30年遅れる事に

とっとと米原で繋げておけば、西暦2039年には新大阪まで乗り入れすらできたというのに