中央新幹線というか第二東海道新幹線は確か当初勾配60‰、最高速450km/h〜550km/hの間、
最小カーブR=6000mカント12度で検討されていた。40‰にしたのは単純に日本の丘陵や扇状地の勾配の
平均がそれくらいなためなのと、 JR再急こう配が40‰なだからそれ以上は霞が関の専門家会議がー
とかいう旧来の陋習もその理由の一つだろうな
因みに
第二東海道新幹線は雨畑を通過するルート案だったようで、現ルートが甲府市付近から
南に行くのはその名残か。雨畑から畑薙ダム付近で大井川を鉄橋で渡り真直ぐ名古屋を目指すはずだったが
オイルショックで甲府・中央東新幹線計画と統合したので長野・岐阜を経由する今のようなルート案に変わった