>>400

――88(昭和63)年、8月の全国戦没者追悼式に出席した翌月に天皇は大量に吐血。
国内が「天皇陛下、ご重体」という報道で騒然となった。

 御座所に呼ばれて伺うと真っ赤な血を吐き、下血もされていました。
震えながら始末をしていたら、陛下が「今日は満月だよ。その障子を開けてご覧、きれいだ」と言われました。
まるで首から下は自分ではないような、そんな感じでした。
床に伏せている陛下がなぜこの日が満月ということをご存じなのか。
最近になって、仕奉人(つかまつりびと)さんが大きな鏡を持ってきて、月をお見せしていたことを知りました。

実際、彼の死に様は悲惨でした。体中から血が噴出し続けて死んでいったのです。地獄の苦悩でないとは考えられません。

その日から111日に及ぶ天皇陛下の闘病生活が始まることになる。陛下は膵臓がんからの出血のため、大量の輸血が必要だった。
それは十二指腸に浸潤した腫瘍からの出血と思われた。
陛下への輸血のために自衛隊員が集められ、輸血が繰り返された。陛下に輸血された血液の総量は、3万1865ccに達した。

この輸血量は、身体全部の血液を10回入れ替えられるほどの量であった。

がんの末期状態で出血を繰り返す場合、延命のための大量輸血は行わないのが原則である。
しかし国民が見守る中、陛下の輸血を中止することはできなかった。
当時、尊厳死や安楽死などが、国民的話題になっていたが、まだ一般的議論には至っていなかった。
延命治療の無意味さも社会問題になり始めていたが、それを天皇陛下に当てはめることはできなかった。
陛下の病気は、それを議論するのによい機会であったが、誰もそれを口に出せなかった。
輸血の中止は、陛下の死を意味していたからである。

陛下は、昭和62年に弟の高松宮宣仁殿下を肺がんで、昭和36年には長女・東久邇成子さまをがんで亡くされていた。
陛下はご自分の病気の告知はなく、輸血を繰り返す対症療法だけであった。