直江津は古代から上杉謙信の時代まで越後の中心地として栄えた
高田は高田城が作られるまで人も住めないような湿地帯だった
高田城ができると直江津には橋をかけずに高田の城下を通らないと川を渡れないとか
港にあるべき魚市場まで高田城下に(田端町、現在の仲町)に持ってきたりして直江津は高田と一体化した
上越市になっても政治や商業の中心は高田だったが木浦 市長の時代に露骨な直江津優遇が行われ
市役所幹部はすべて直江津組になり市役所で出世できるのは直江津組だけの仕組みを作った
なお高田は神輿の文化で直江津は舟形山車の文化で違っていて上杉謙信も昔から高田では重視するのに直江津では関心が薄いなど違っている