経営眼はもちろん、人物眼もあった初代嘉一郎は、後継に吉野専務を指名、秘書の藤太郎は指名せず、
美田は子孫に残さず、我家の家宝ありやなしや
と、非常に東武鉄道の将来を預言するような最期であったのである

https://i.imgur.com/cKGMbaN.jpg

後継の吉野社長が急逝すると、会長の原邦造氏が社長に就任
原邦造は第百銀行頭取ほか財界の大立者であり多忙
四代社長に藤太郎が就任したのである

かつては上掲のように四代藤太郎となっていたのであるが、最近の書物では、初代嘉一郎のつぎは、なんと二代嘉一郎!
何たる歴史の改竄 !!

編集可能な Wikipedia でも恐らく腰巾着の本社犬が嘉一郎の次は藤太郎にしてしまったのである
これでは内田社長も何時消されてしやうか分からん