『ウイスタン』は瓶詰めハイボールだった。
ウイスキー&ソーダ、ウイスキーの炭酸割り、だから『ウイスタン』。これを世に出したのはサントリー(当時寿屋)創業者の鳥井信治郎だった。
日本での本格的なウイスキーづくりは1923年(大正12年)に着工したサントリー山崎蒸溜所にはじまる。
ではそれまでの日本で飲まれていたウイスキーとはどんなものだったか。
輸入スコッチは嘘みたいに高価で、ごくごく一部の特権階級の酒だった。一方で、いろんな会社が国産ウイスキーと称して、アルコールにカラメルや
香料を混ぜたイミテーションをつくっていた。

第一次大戦前、ドイツはスコッチの市場を乱すために、戦略的に混成ウイスキーを大量にばらまき、世界中の市場を荒らした。
これはトウモロコシや小麦からつくったグレーン・アルコールに香料を混ぜたものだった。
鳥井信治郎もそれを買ってみたものの、ひどいシロモノだった。仕方がなく、ワインの古樽に詰めて倉庫の奥にとりあえず置く。
これは事実らしいのだが、信治郎はそのことを忘れてしまった。何年も経って、この樽は何だっけ、と開けてみたら劇的に味が変化していた。
つまり樽熟成の神秘を身を持って知った訳である。

余談だが、この体験が後の日本初の本格ウイスキーづくりに生きているといえる。
信治郎の口グセのひとつは「酒は寝かせてみなはれ」だったのだから。

その劇的に変化した混成ウイスキーをソーダで割って『ウイスタン』として発売したのだ。ただ売れなかった。
信治郎は新時代の花形製品と勢い込んだらしいのだが、ウイスキーに馴染みのない時代に、そのソーダ割りと言われても大衆が受け入れるはずがない。
ただ彼は小手先では売れないことを実感し、なんとしても本格ウイスキーをつくる、という執念を抱いた。そして熟成というものに魅了された。
つまり不人気『ウイスタン』は、ジャパニーズ・ウイスキー誕生の、きっかけのひとつになっているのではと言いたかったのだ。

さて、これからの季節、ウイスキー&ソーダが旨いよ。できたら冷蔵庫にソーダ水を常備して欲しい。
そしてジャパニーズ・ウイスキーと氷、好みでレモンスライス、これらを用意して、ハイボールを飲もう。

これぞ大人の喉ごし。お手軽カクテルなんだけどな。

(あるサイトから)