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なんで自民は憲法改正しようとしてるの? [無断転載禁止]©2ch.net
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0001名無しさん@3周年
垢版 |
2016/07/09(土) 23:27:00.04ID:j4UOyBZJ
反対派がそれなりにいるのに推し進めるのはリスクしかないように感じるんだけど
感情論抜きで教えてほしい
0164バークの系譜
垢版 |
2016/07/12(火) 16:04:48.78ID:Z5ExMjBp
http:// www.geocities.jp/burke_revival/jinnkenn.htm
EDMUND  BURKE(エドマンド・バーク)の系譜

真正自由主義(伝統主義、真正保守主義)  
http:// counter.geocities.jp/ncounter.cgi?id=burke_revival
(バーク哲学の神髄)
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● 保守主義とは、高貴な自由と美しき倫理の満ちる社会(国家)を目的として自国の歴史・伝統・慣習を保守する精神である。
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● 保守主義は、自由と道徳を圧搾し尽くす、全体主義(社会主義・共産主義)イデオロギーを排撃し殲滅せんとする、堅固な思想である。
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・・・A迷信の「国民主権」、反人民の「人民主権」
 
 対内的な政治における(「国民主権」)などの主権の概念は、F・ハイエク(ノーベル経済学賞、政治哲学者)によれば、迷信であるという。ハイエク曰く、
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 「主権がどこにあるのかと問われるなら、どこにもないというのがその答えである。立憲政治は制限された政治であるのでもし主権が無制限の権力と定義されるなら、そこに主権の入り込む余地はありえない。
・・・・無制限の究極的な権力が常に存在するに違いないという信念は、あらゆる法がある立法機関の計画的な決定から生まれる、という誤った信念に由来する迷信である。」
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 一言で言えば、現代国家の、国内法や国内政治において、主権(無制限の権力)などというものは存在し得ない。存在しえない(していない)のに存在しうると信仰すれば、たしかに迷信と言うしかない。
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 主権が存在しえないのは、自由を価値とする政治は、立憲主義に立脚せざるをえないからである。立憲主義とは国家権力を制限することであり、それは“無制限の権力”を否定することにほかならない。一方、主権とは無制限の絶対的な権力のことである。

このために、立憲主義は、必然的に、主権を否定し主権を国内政治から排除することになる。だから、立憲主義の国家の政治には、主権は存在しえない。また、存在させてはならない。
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0165バークの系譜
垢版 |
2016/07/12(火) 16:07:22.67ID:Z5ExMjBp
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・・・とすれば、日本国憲法第一条にある「主権の存する・・・・日本国民の総意」も前文にある「主権が国民に存することを宣言」も“迷信”が二つも記述されていることになる。
そして、この迷信は、「あらゆる主権の原理は本来、国民に存する」としたフランス革命の「人権宣言」(1789年8月)に発生する。
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 自由主義の政治とは“法による政治”であって「人による政治」ではない。「国民主権」とは国民という「人」を絶対とするように、この「人による政治」の論理であり、未開的であり野蛮的であり、文明に逆行している。

日本が迷信の「国民主権」を憲法に掲げながらかろうじて文明的な自由主義の政体とその政治社会を維持出来てこれたのは自由の淵源である天皇(国王)を立憲君主として戴くことによって「国民主権」の毒性が中和されていたからである。

 主権の用語について、おおまかに類別すれば、国際法上の「国家主権(主権国家)」、ならびに国内政治上の「君主主権」「国民主権」「人民主権」、合わせて四つがある。
ここでは、国際社会において国家が最高権力の主体であるとする「国家主権」の概念についてはとりあげない。
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 すなわち、一つの国家の政治において最高の権力主体(「主権者」)は誰であるかを問題にする、
「君主主権」「国民主権」「人民主権」の三つの主権概念を取り上げて、これら三つとも“法の支配”を一大原則とする自由主義の政治とは全く両立し難いこと、否むしろ極めて有害であることを再認識するものである。
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 (A) 迷信の国民主権───文明の政治社会ならば、「国民主権」を嫌悪し、廃棄する。

 近代的な「主権」の概念は、フランス人ジャン・ボーダン(1530〜96年)の『国家論六巻』(1576年)をもって発祥とする。

ボーダンが「主権」という国権の最高性を理論化したのは、
イ)?? フランス王国が神聖ローマ帝国とローマ教皇の教会権力に対して独立の地位を有する国家として確立することを目的とするためであった。つまり対外的な「国家主権」を確立するためであった。
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ロ)?? 国内のカトリックVSカルヴァン(ユグノー)の宗教内戦と過激な権力をもつ地方の封建諸侯に翻弄されるフランス王国の国内統一のため、君主の絶対的優越性「君主主権」を正当化するためであった。
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